あれこれ日記

趣味の話とか

2023年振り返り

今年はちょっといろいろあって、メンタルヘルスのダメージの大きい一年でした。そのおかげでいろんな連絡や仕事が滞ってしまって、各方面に申し訳ないです…。

今年の仕事としては、論文は3本出ています。いずれも招待論文ですが、まず『哲学の探究』に「共同行為のミニマリズム」。

哲学若手研究者フォーラム - 『哲学の探求』第50号目次

これは共同行為の分析において「ぎりぎり共同行為と言える例を分析する」という方針を採るひとたちの議論をまとめて紹介していたりするものです。2022年にJournal of Social Ontologyに載った"Concessive Joint Action"でも取り上げたテーマですが、それをもう少し整理してみました。"Concessive Joint Action"は以下。

Concessive Joint Action | Journal of Social Ontology

共同行為の進み方が開始時点の意図や計画で決定されないというのは、エッセイなどで「意味の占有」の読んでいる現象を形式的に扱うための中心的なアイデアなので(というか、そのアイデアがもととなって意味の占有という現象があるのでは、と考えるようになったので)、このあたりのことが論文にいくつかなってきたのは、本当によかったです。意味の占有のテクニカルな定式化の話なども、来年何かしら出る予定です。

ふたつ目は、『語用論研究』に載った「推意・意味・意図」という論文。招待枠ですがいちおうチェックもあり、「査読付き」としていいとのことでした。

三木 那由他 (Nayuta Miki) - 推意・意味・意図: グライスにおける推意 - 論文 - researchmap

ポール・グライスのなかでの推意の位置づけを論じた論文です。個人的な感覚としては推意の概念がグライスから独り立ちして言語学などで用いられたりするのはぜんぜん悪いことだと思わないのですが、それはそれとしてグライスにおける位置づけについても長年グライスを読んできた人間としてはちゃんと語っておきたいところ。

三つ目の論文は「コミットメントの意義と種別」。これはKLS: Selected Papersに載った招待論文です。

三木 那由他 (Nayuta Miki) - コミットメントの意義と種別: コミットメント概念の活用のために - 論文 - researchmap

意味論でも言語哲学でも最近コミットメントという概念がどんどん使われ出していますが、実は異なるコミットメント概念の区別と整理があんまりなされていないのではないかと感じていて、それを試みてみました。Geurtsさんの表記を発展させたフォーマルな表記も提案していて、私は気に入っているのですが、ゼミで話したらあんまりリアクションをもらえませんでした。まあ、ぱっと見るとアルファベットがあちこちに並んでいて目が滑りますね。

書籍は、私個人で書いたものとしては『言葉の風景、哲学のレンズ』(講談社)が11月に出ました。『群像』の連載をまとめたものですが、私はけっこう校正の機会があるたびにあちこち直すタイプなので、雑誌掲載時と文面が違う箇所がたくさんあります。

参加した本は、『われらはすでに共にある 反トランス差別ブックレット』(現代書館)、『みんなのなつかしい一冊』(毎日新聞出版)ですね。『われらはすでに共にある』では、「トランスであるだけで何を話してもシリアスに受け取られるけど、私だって本当はしょうもない話をしたいんだ!」と語ってます。『みんなのなつかしい一冊』では、「『枕草子』って百合だよね」という文章が載ってます。百合ですよね。

講演やイベントはいろいろあったものの、今年は学会発表に当たるものができなかったのが心残りですね。少し前に「これ論文になるかも」というアイデアが(共同行為関係で)ひとつ閃いたので、来年発表したり論文にしたりしたいな。

思い出に残ったのは、きんきトランス・ミーティングとカルチュラル・タイフーンでしょうか。きんトラはその後も「あのとき配信を見てました」と会ったひとから言われることが多くて、そのたびに嬉しくなります。

そのほかだと、いろいろインタビューを受けました。なかでも印象的だったのはマイナビさんのSTARTというサイトのもの。なんと、私を漫画にしてもらいました!

言語哲学者・三木那由他さんに聞く、会話を紐解くふたつの現象|おとな科見学|マイナビSTART

漫画好きとして、可愛い漫画になるのは何とも言えず嬉しいですね。

あと、『群像』の連載も相変わらず。今年は朝日新聞のウェブメディアRe: Ronでの連載も始まりました。こちらは『群像』のほうより柔らかめ、時事感強めでやろうとしてます。それと2024年の『中央公論』の「この漫画もすごい」の執筆者に加わることになりました。2月号では『琥珀の夢で酔いましょう』を紹介してます。

見たものや読んだものでも印象的だったのがいろいろあります。ジャンプラの漫画『バンオウ』は、連載は去年からですが、コミックスは今年からで、面白いですね。吸血鬼が将棋をする漫画です。ほかの人々とは違う時間を生きる存在の話が好きなんですよね。漫画だとネタバレを避けて遠回しに語りますが、ここ最近の『僕のヒーローアカデミア』は、もう「待ってた! 待ってました!」という感じです。

海外の漫画では、特に今年出たものではないですが、Emma GroveさんのThe Third Personは本当にとてつもなく素晴らしかったので、翻訳が出てほしいです。分厚いけれど、このすごさをいろんなひとに味わってほしい。Aceアイコンを目指すGwenpoolの活躍もあり、Marvelも相変わらず熱かったですね!

映画だと『ホエール』が印象的だったかな。映画館で声を上げて大泣きしてしまって、「これ、周りに迷惑かも、どうしよう…」と思ってたら隣の隣のひとも同じくらい大泣きしててほっとしました。ドラマは何といってもONE PIECEでオープンリートランスのモーガン・デイヴィスさんが(作中で特にトランスと言われているわけでもない)コビーを演じていたのが嬉しかったです。先日公開された映画Talk to Meでも特に作中でジェンダーモダリティは話題にならないでオープンリートランスのゾーイ・テラケスさんが演じていて、しかもけっこう嫌なやつ役だったのに感動しました。偏見に基づく嫌な描写でも健気なマイノリティでもなく、単に嫌なひとというの、あんまりトランスのひとに当てられない役ですよね。

ゲームだとStarfieldをかなりやっていたのですが、何やかんやで一周行く前に遠ざかってしまいました。でも、クィア表象が「どの性別のキャラともロマンスできます」というだけの空虚なものでなく、作中のしっかり女性同士や男性同士のカップルがいて、よかったですね。単数のtheyが字幕で「彼ら」や「やつら」になっているのはどうにかしてほしいです。

流行ったのは去年かと思うのですが、Vampire Surviversというゲームもやってみてます。作中に出てくるジオヴァーナという猫を使う魔女のキャラが、「assigned mage at birth」(出生時にメイジを割り当てられた)で、魔女の姉妹たちが「protect witches' spaces」(ウィッチ専用スペースを守れ)と言って攻撃してくるという設定らしくて(ベスティアリーのUndead Sassy Witchの項目に記載)、笑ってしまいました。これがきっかけで購入。言うまでもなく、「assigned male at birth」(出生時に男性を割り当てられた)女性がシスターである一部の女性たちから「女性専用スペースを守れ」の名目のもとで不当に攻撃されている状況のパロディですね。まあ、これも翻訳はそのことをまったくわからず訳しているみたいで、日本語だとちんぷんかんぷんですが。

英語のゲームだとこうしたクィアな描写がたくさん取り入れられてきていて、Redditなどで見る限りゲームファンのあいだでもそういうのを理解して楽しむ風土が出来つつあるように見えるのですが、翻訳段階でその点でのリテラシーが不十分で失われてしまうというのは、悲しいですね。Tell Me Whyなんかも、日本語字幕だと「情報に通じていないひとが訳したんだな」って感じでしたよね。

少し前にBaldur's Gate 3を買ったのですが、クィア表象が優れていると話題のこのゲーム、楽しみでありつつ翻訳がちゃんとしているか不安にも感じています。

そんなこんなで、ふらふらへばりながら漫画やゲームに生かされているような一年でした。来年はもう少し元気にやっていきたいです。

そういえば今年は河合塾の全国高校模試に私の文章が使われたらしく、なんとそれが『ヒロアカ』のかっちゃんの話をしている章だったようで、全国の高校生に私がかっちゃんファンであることをバラされるという、あまりほかに味わったひとがいなさそうな経験もしました。

Citizen Sleeper (Fellow Traveler games)

Citizen Sleeper — Fellow Traveller Games

Fellow Traveler gamesから発売されているアドベンチャーゲーム。勧められてやってみたら、これがとんでもなくよかった! 来年には日本語版も出て、あと次回作の発売も予定されているみたいです。

主人公は「スリーパー」と呼ばれる、人造の体に人間の心をエミュレートした存在で、企業の所有物であり、人権も認められていません(というか、しばしば周りから人間でないもの扱いをされる)。明確な名前はないのですが、周りからは「スリーパー(Sleeper)」が名前のように使われます。

主人公はその企業から逃れ、「アイ」と呼ばれる街の掃き溜めで目覚めます。その街で、主人公は自分の生き方を模索していくことになります。

ゲームシステムがTRPGっぽいと言われているみたいですが、実際の感覚としてはゲームブックに近いかも? イベント中はテキストをずっと読んでたまに選択肢を選ぶかたちで、テキスト内で主人公は「あなた(you)」と呼ばれます。「あなたは何か言おうと思った」みたいに。

ただ、特徴的なのはダイスシステム。このゲームは「サイクル」と呼ばれる周期を繰り返すかたちで展開され、サイクルごとに体調やエネルギーが消耗していくのですが、各サイクルの初めに最大5つのダイスを取得します。街で仕事をしたり、街の探検をしたりといった作業はそのダイスを消費しておこない、ダイスの数が大きいほど成功確率が上がります。これが意外と楽しくて、なんとなく、失敗しても「リセットしてやり直そう」という感覚にはならず「きょうは調子悪い日だなー」と、ロールプレイにしてしまう。

さて、このゲーム、お話としては主人公がアイで仕事をしたり街を探索したりしながら人々と交流し、ときには自分を処分しようとする者たちから逃れたり、自分の体を長持ちさせたりするために周囲の助けを得て、サバイバルしていくのがメインとなります。そのなかで、新しいひととの出会いが新しい目的を生み出していきます。作中ではいわゆる「クエスト」が、drive=欲動として表示され、次第に主人公を突き動かす欲動が多様になっていく様子を感じられて、それも面白いです。

なかでも私が楽しかったのは、生活費を稼ぐためにバーで働いてたら店主に気に入られて改装工事を手伝うことになり、だんだんとそのお店が「二人のお店」になっていく話。きのこを使ったカクテルを作るためにきのこの胞子を見つけてきて栽培するあたりとかも、よかったです。きのこカクテルを二人で味見しているシーンとかめちゃくちゃ可愛い。

ほかにも、アイを脱出しようとしている親子とか、復讐に燃える技術者とか、アイの植物の生態を調べる植物学者とか、野良猫とか、いろいろなNPCが出てきます。私は選択を失敗したりして、何人か縁が切れてしまったけど。

初めはただ生き抜くだけだった主人公が、プレイヤーの選択によってほかの人々との繋がりのなかに生活を築いていく確かな実感があり、そしてそれがテキスト的にもゲーム的にも面白いというのが、本当に素晴らしかったです。縁が切れてしまったひとがいた寂しさや消えることのない脆弱さなども含めて、プレイ後には「いい人生だった」と思えるゲームでした。最後の大型イベントが「劇場版か」という派手さで、仲良くなったNPCが総出演するのもいいです。

ところでこのゲーム、トランス/ノンバイナリー的な観点からも面白いと思います。まずもって、代名詞がtheyのキャラが多くて(主人公もそう)、プレイしているうちにだんだんと、sheやheのキャラに出会ったら「おや、あなたはその代名詞なんですか」と思うようになっていました。もはやtheyは珍しい代名詞と認知されなくなるというか。この社会にももちろんいろんな歪みはあるけど、ただおそらく性別二元論という歪みはないのだろうなと感じられます。

それに加えて、トランス目線だと主人公がどこかトランスっぽいんですよね。自分の体への適合できなさを繰り返し語り、体から解放されたいと願い、それでも生きるために体を整えようと定期的に注射を打つ。「性別違和とホルモン注射じゃん!」ってどうしたって思いますよね。周りから同じ人間とは見られず、気味悪いものとして扱われ(相手を助けようとしているときでさえ!)、ときには人間でなく「ロボット」と扱われ、ほかのひとと同等の権利も法的には認められていない。トランスっぽいですよね。

話を進めるにつれて、いくつか大きな分岐点があるのですが、私はずっと「それでもこの社会、この体で生きていくトランス」としてプレイしていました。そのせいか、あとのほうになるとだんだんやることがなくなってdriveがなくなっていくというのも、本当なら寂しく感じそうなところなのに、「突き動かされる焦燥感によって生きるのでなく、ただゆったりと日々を暮らすようになれたのだなあ」と妙に感慨深かったです。

あとこのゲームは本当にきのこが大活躍で、たぶんそう言われて想像するのの10倍はきのこがすごいので、きのこ好きにもお勧めです。

GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2023 -The Ghost Hunter- @大阪城ホール

行ってきました!

GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2023-The Ghost Hunter- 特設サイト

エッセイにも書いたことですが、中学高校のときにGLAYがすごく好きだったのに、そのあと長いこと距離を置いていた時期があるんですよね。頑張って男性になろう、ならないと、やらないとと心がけていたころに、男友達から「GLAYは女くらいしか聞かない」と言われて(偏った言い分だけど、確かに当時は女性ファンの比率がいまより高かったとは思う)、「GLAYを聴いていると男性を演じられない…」と聞くのをやめていました。

その後、「そもそも私は男性でもなく、そんな人間が男性をやるなんてできないのだ」という発見とともにトランジションをし、でもろもろ落ち着いてきたころにふと「そういえばむかしよく聴いていたな」と最近のアルバムを聴き、GLAY熱が復活してまたライブなどにも行くようになった、という経緯です、

さて、今回のハイコミュニケーションツアーというのは、GLAYがたまにやるヒット曲、定番曲に拘らずいろいろ珍しい曲を演奏するツアー。

なんと今回は、一曲目が「三年後」! 「三年後」ですよ。わかります? 『Pure Soul』に収録され、どしどしベースを響かせながらもしっとりとしたバラードです。私が中学のころの曲かな。「樫の木の下でまた会えるといいですね」という歌詞を聴いて「会えるといいなあ」と思っていた中学生でしたが、いまだに樫の木の見分けができずにいます。

最新のGhost Track収録の曲ももちろんやってくれました。が、いま思い返すと「U-TA-KA-TA」はなかった? TERUが珍しく低めに歌っていて、セクシーでけっこう好きなのですが。「buddy」のラストで観客が手を大きく振って合わせて「一緒に歌って」みたいになっていたのですが、その時間が思いのほか長くて、楽しいけど「肩が…! 持ってくれ、私の肩…!」みたいになってました。

個人的に嬉しかったのは「Missing You」、「軌跡の果て」、「Young oh! oh!」、「Spetial Thanks」とかかなあ。好きなんですよね。「Young oh! oh!」って呑気な曲というイメージでしたけど、ライブだとけっこうどーんと盛り上がる雰囲気ですね。

今回はMCがとても少なくてほとんど演奏し続けでした。でも演奏の合間にTERUがHISASHIの肩に手を置いて顔を覗き込むようにして歌い出して歓声が上がったり(隣の女性が「あわわわわ…」みたいになってた)、曲の途中でTERUがコール&レスポンスを初めてだんだんやめどきがなくなって「収拾つかなくなっちゃった」と照れ笑いしたり、可愛いポイントがいっぱいありました。ジョークを言うときに「面白いジョークを言うぞ!」という表情がぜんぜん隠れてないTAKUROも可愛かったし、ぴょんぴょん飛び跳ねて観客に「体力をつけろ」と言うJIROの少年感もまた。

体力のない私は精神的には満たされたものの体がバキバキで、脚も腰もえらいことになっているので、きのうは帰ったらそのまま寝てしまったのですが、幸いきょうは授業も遅めだし、ゆっくり湯船に浸かって体をほぐしてから出勤します。

ももちの世界『皇帝X』(@インディペンデントシアター2nd)

ももちの世界 — NEXT

ももちの世界の新作を見てきました。

第二次世界大戦の戦争責任を問われていた人物が神の祝福を受けて日本の皇帝として君臨するようになり、以後70年に渡ってその座に収まり続けているという架空の日本が舞台。

皇帝は陰謀論に染まって中国を敵視し、「敵」から国を守るために防衛費を増額して軍備増強に努める。そんななか、神からクリスマスにその命が尽きることを知らされる。

一方、皇帝の親族であり側近でもあった父が亡くなった三人のきょうだいが、皇帝の庇護下で新たな暮らしを始める。とりわけ、真ん中の男の子であるひかるは、皇帝の孫で、無垢で孤独な凛介と映画を通じて親しくなっていく。けれど、凛介はやがて皇帝の座につくことに……。

架空の日本としつつ、現実に起きた政治的な事件を無数に織り込んで物語は展開していきます。しして凛介が皇帝の座についてから次第にあらわになるのは、皇帝という人間のかたちを取った家父長制が軍国主義と排外主義と健常主義と手を取り合い、有害な男性性を潤滑油として自らの再生産を続けている姿。ここに至って、架空の日本の物語はただ「皇帝」という架空の形象を媒介にしているだけで、根本的には現在の日本の姿そのものであることがはっきりしてきます。

そうして破滅へと突き進んでいく日本を、ももちの世界らしいかっこいい音楽、激しい効果音、詩的な台詞で盛り上げていくラストが、怖くもありすごくもあり。

また本作にはひかるの妹でろう者のあかりという女性が重要な人物として登場します。女性でありろう者であるあかりは、皇帝が続けてきた社会システムのなかにまるで居場所がない存在で、肯定の前に初めて立ったときに姉が皇帝に手話通訳をさせてほしいと請わなければ皇帝の言葉を聞く機会さえないくらいにシステムの脇に置かれてしまっている。

ブレヒトの『三文オペラ』を彷彿とさせるくらいに突然転換するラストでは、一瞬、ろう者の女性が日本の今後を決める立場になるという世界を垣間見せてくれるのですが、すぐに終幕となり、観客はこの現実の、どれだけ支持率を失おうといまだ「皇帝」が君臨している日本に引き戻されてしまう。

とても面白いお芝居で、明日のお昼が最終回だと思うので、興味があって行けそうなかたはぜひ!

李琴峰『肉を脱ぐ』(筑摩書房)

筑摩書房 肉を脱ぐ / 李 琴峰 著

自分自身の肉体に強烈な嫌悪感を持ち、小説家としてのペンネームである「柳佳夜」に肉体を持たない存在を託そうとする主人公が、同姓同名の吸血鬼Vtuberの登場によりなりすまし疑惑をかけられ、存在を奪われるという危機感とともにVtuber柳佳夜を演じる人物の特定をしようとする。

……なのですが、こんな感じにあらすじをまとめると、実際に読んだ感覚とだいぶん違って、読んだ印象ではむしろそのあたりの話よりも、体を持ってここにいる自分とオンラインで周りから見られる自分との不釣り合いのなかで、それぞれ異なるアイデンティティの持ち方、アイデンティティと身体の結びつけ方をしている、小説家柳佳夜、Vtuber柳佳夜、そしてトランスジェンダー若い女性優香の生き方とそれらが交錯する様を描いている作品という面を強く感じました。

とりわけ、小説家柳佳夜にとって、オンラインでの自分の存在は肉体を持たず、その名前とそこに結びつけられた作品や作品への評価によって構成されるものであり、だからこそ同名のVtuberに名前を奪われていくことがすなわち存在を奪われることになる、というあたりが面白いです。

他方で、Vtuberの柳佳夜も自らの体で生きる日常では引き受けきれないアイデンティティを肯定的に受け止める可能性をVtuberとしてのそのアバターに託しているというような描写があり、それとともにVtuberとしての自分も自分の肉体の延長線上にある。その一方で、優香は普通に会社員の女性として暮らしながらも、Twitter上では勝手に歪められたイメージのもとで「肉体」を与えられ、その「肉体」を意味づけられ、トランスジェンダーであるがゆえの強烈な誹謗中傷に晒されていて、そんななかで自分自身のアイデンティティにあった肉体のかたちを求めようとしている。

それぞれ抱えているものも目指しているものも違うのだけれど、肉体というのが単なる所与ではなく、社会的な交渉のもとでアイデンティティと相互調整するようにして意味を獲得しているというようで、肉体というものへの見方が更新されるというか、「いや、確かにそうだよね」と思わされるような作品でした。

ところで、優香が向けられるトランスジェンダー排除的な言葉の数々がやたらとリアルで、「わー、私も同じ日付にめっっっちゃくちゃ言われた!」と、まったくもって笑い事ではないのだけど、なんだか笑ってしまいました。いや、本当に、本っっっっ当に、あんな感じですよね! 私もまさに国際女性デーに合わせてインタビューを受けて、そのなかで性差別に関わる話なんかをした結果として、ぼっこぼこに叩かれたことがありました。Twitterは本当に性的マイノリティにとって環境として最悪の最悪ですよ。縁起が悪いので、近づかないに越したことはありません。日常の世界は変なひとや攻撃的なひとに会うこともあまりなく、トラブルもたいしてなく、のんびりしたものなんですけどね。たまにハラスメント対応に追われたりはするけど。

私自身はもうあんまりTwitterも見ないものの、それでもときどき覗いてみるとやっぱり酷いことを言われているのが見つかったりしています。ブロックしまくっているから私からはほとんど見えなくなっているけど、たぶん私の名前で検索してもらうと優香にぶつけられているのと同じようなひどい言葉がいっぱい出てくると思う。(いちどあんまりに酷かったときに弁護士さんに相談した関係で、スクリーンショットも山ほどあります。……そんな思い出あまりに要らなすぎる)

ともあれ、おすすめの小説です。

 

映画『マーベルズ』(ネタバレあり)

マーベルズ(The Marvels)|映画|マーベル公式

見ましたよ! もうね、最高でした! もともと『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』のときに気になってMCUを一気見し、その過程で『キャプテン・マーベル』でキャプテン・マーベルにとてつもなくときめいてコミックまで読むようになり、そのなかでミズ・マーベルを知って…、みたいな流れでマーベル世界に入っていったので、キャプテン・マーベル、モニカ・ランボー、ミズ・マーベルの三人が主人公の本作は、発表されたころからずっと楽しみだったんですよね。

で、期待以上に楽しい映画でした。キャプテン・マーベルとミズ・マーベルが合流するとなると、もう誰もが憧れのキャロルさんに会ったカマラちゃんのはしゃぎっぷりを楽しみにするじゃないですか。それがもう、本当に「見たかったものを見た!」という感じでした。いきなりテンションの高い早口で「『ミズ・マーベル』を名乗ってるんですが、コピーライトとか大丈夫ですか?」みたいなことを言い出すあたりからすでに最高です。

人々が歌って踊るミュージカル調の星で険しい顔を崩さないキャロルさんと、周りに合わせてちょっと踊りかけつつそんなに乗れないモニカさんの横でひとり楽しそうに踊りまくるカマラちゃんのシーンもいいですね。幸せになります。そしてキャロルさんが歌って踊り出したときのカマラちゃんの顔!

キャロルさんはコミックのほうでもぱらぱら拾い読みしている印象だと、そのとてつもない強さと比例するようにしてとんでもない重責を背負っていて、だいたい苦しそうにしているように思うのですが(「シビル・ウォー2」のときとか、けっこう見ていられない)、今作でもずっと苦しそうで、でもモニカさんとカマラちゃんと過ごすなかで少しずつ表情が和らぐのもよかったですね。三人のトレーニングシーンで縄跳びをしているところとか、永遠に見続けていたい。

救えなかったクリー人たちや約束を果たせなかったモニカさんへの罪悪感に苦しむキャロルさんと、サノスによって消えていた期間に母を失ったことで心に傷を負っているモニカさんのあいだに緊張が走ると同時に、カマラちゃんが当たり前のようにハグをして寄り添っていく様子などもよかったです。三人のなかではいちばん経験が少なく、今回もドラマ版のどこかのどかな戦いとは違って悲惨な戦場に置かれたことでショックを受けているようだったカマラちゃんでしたが、この三人のなかでは精神的支柱のような存在でしたね。力のキャロルさんと知識のモニカさんを支えるカマラちゃん。

アクションシーンもハイスピードで目まぐるしく三人の位置が入れ替わるのが楽しく、ヴィランが女性だったのもあって、「女性ばかりでのハイスピードアクション、楽しくて最高!」とはしゃいでしまいます。強い女性ヒーローをもっともっとどんどん出してほしい。

そして、最後にとうとう来ましたね! 次の集合への布石が! カマラちゃんがニック・フューリーのモノマネみたいなのをしながらケイトを誘うシーンが入っていて、今度の集合作品が本当に楽しみです。

若いヒーローチームを作りたいようだから、カマラちゃん、ケイト、あと作中で言及されていたキャシーと、『アイアンハート』が公開される予定のリリとかが入ってくるのかな。アメリカも入りますか? シュリはどうなるだろう。そして若者チームになると誘われなさそうなシーハルクとかムーンナイトとかはどうなるのでしょう。ムーンナイトは集合には加わらず単独作になるかもとの話もあった気がしますが。ハルクリングが出るかもという噂もあったように思いますが、出るならウィッカンといちゃついてほしいところだけど、ウィッカンは出すならどういう出し方になるのだろう。

ラストに『ドクター・ストレンジMoM』以来の、パラレルワールドも登場しましたね。ビーストがいて、セリフからするとプロフェッサーXもいるみたい。別作品ですが『ロキ』のほうでは確かセリフでアース616への言及もありましたよね。いよいよいろんな話のあいだにつながりができてきているようで、わくわくします。

私はその辺りあんまりわかっていないのですが、『ドクター・ストレンジMoM』でMCU世界もコミック世界と同じ616のナンバーが割り振られていたんですっけ。そのあたりもどんなことになっていくのだろう。

とにかく、楽しい映画でした!

 

藤田和日郎『黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ』

黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ|モーニング公式サイト - 講談社の青年漫画誌

これまでジャンピングジャック、ナイチンゲールを取り上げてきた黒博物館シリーズの三作目。と言っても、私はずっと追いかけていたわけではなく、むしろ本作をきっかけにまとめ読みしたのですが。

本作での主人公は『フランケンシュタイン』の作者メアリー・シェリー。メアリーはある日、高額な報酬と引き換えに、傷だらけの顔で身体中に包帯を巻かれた長身の女性に、舞踏会に出席するに相応しいマナーを教育するように依頼されます。自分の名前も覚えておらず、メアリーから「エルシィ」と名付けられることになるその女性は、ロシアからの女性暗殺者の死体に平凡な村の娘の死体の頭部をくっつけ、さながら『フランケンシュタイン』の怪物のように作られた存在だと言います。ほかの暗殺者から女王が襲撃される可能性を見越して、暗殺者の体を持つその〈怪物〉を女王の参加する舞踏会に出席させ、護衛させるのが目的とのこと。

そんなわけでメアリーとエルシィの共同生活が始まるのですが、これがもうなんというか、ど真ん中フェミニズム!という感じの話なんですね。「女性は男性より脳が劣る」なんて平気で言われていた19世紀の社会を舞台に、女を搾取し虐げる男たちに向かって下働きの女たちやメアリーが、そもそも社会に属せない〈怪物〉であるエルシィとの交流をきっかけに反逆していく。めちゃくちゃ熱いです。

最初は『フランケンシュタイン』を生み出した自分のなかにも〈怪物〉が眠っているのではと恐れていたメアリーが、〈怪物〉とはこの男性中心的社会に抗う者の名前であると考え自ら〈怪物〉を名乗り始めるところとか、たまらないですね! 世界初のプログラマーとも言われる女性エイダ・ラブレスも登場して活躍します。

私としては、やっぱり背が高く、外見も普通でないとされ、社会に居場所がなかなか得られず、というエルシィにかなりシンパシーを持ってしまいます。こんなに強くも優しくもまっすぐでもありませんが。それでも、私自身〈怪物〉的に言われることが多い身なので、「怪物」という言葉をむしろエンパワーの言葉に変えていくストーリーには泣きそうなくらい感動しました。

それに、とにかくエルシィが可愛いんですよね。仕草も表情もいちいち可愛い。おすすめの漫画です。

藤田和日郎さんって、有名な作品がたくさんあるのにこれまで読んだことがなくて、過去作も読んでみようかな。