あれこれ日記

趣味の話や哲学のこと

李琴峰『肉を脱ぐ』(筑摩書房)

筑摩書房 肉を脱ぐ / 李 琴峰 著

自分自身の肉体に強烈な嫌悪感を持ち、小説家としてのペンネームである「柳佳夜」に肉体を持たない存在を託そうとする主人公が、同姓同名の吸血鬼Vtuberの登場によりなりすまし疑惑をかけられ、存在を奪われるという危機感とともにVtuber柳佳夜を演じる人物の特定をしようとする。

……なのですが、こんな感じにあらすじをまとめると、実際に読んだ感覚とだいぶん違って、読んだ印象ではむしろそのあたりの話よりも、体を持ってここにいる自分とオンラインで周りから見られる自分との不釣り合いのなかで、それぞれ異なるアイデンティティの持ち方、アイデンティティと身体の結びつけ方をしている、小説家柳佳夜、Vtuber柳佳夜、そしてトランスジェンダー若い女性優香の生き方とそれらが交錯する様を描いている作品という面を強く感じました。

とりわけ、小説家柳佳夜にとって、オンラインでの自分の存在は肉体を持たず、その名前とそこに結びつけられた作品や作品への評価によって構成されるものであり、だからこそ同名のVtuberに名前を奪われていくことがすなわち存在を奪われることになる、というあたりが面白いです。

他方で、Vtuberの柳佳夜も自らの体で生きる日常では引き受けきれないアイデンティティを肯定的に受け止める可能性をVtuberとしてのそのアバターに託しているというような描写があり、それとともにVtuberとしての自分も自分の肉体の延長線上にある。その一方で、優香は普通に会社員の女性として暮らしながらも、Twitter上では勝手に歪められたイメージのもとで「肉体」を与えられ、その「肉体」を意味づけられ、トランスジェンダーであるがゆえの強烈な誹謗中傷に晒されていて、そんななかで自分自身のアイデンティティにあった肉体のかたちを求めようとしている。

それぞれ抱えているものも目指しているものも違うのだけれど、肉体というのが単なる所与ではなく、社会的な交渉のもとでアイデンティティと相互調整するようにして意味を獲得しているというようで、肉体というものへの見方が更新されるというか、「いや、確かにそうだよね」と思わされるような作品でした。

ところで、優香が向けられるトランスジェンダー排除的な言葉の数々がやたらとリアルで、「わー、私も同じ日付にめっっっちゃくちゃ言われた!」と、まったくもって笑い事ではないのだけど、なんだか笑ってしまいました。いや、本当に、本っっっっ当に、あんな感じですよね! 私もまさに国際女性デーに合わせてインタビューを受けて、そのなかで性差別に関わる話なんかをした結果として、ぼっこぼこに叩かれたことがありました。Twitterは本当に性的マイノリティにとって環境として最悪の最悪ですよ。縁起が悪いので、近づかないに越したことはありません。日常の世界は変なひとや攻撃的なひとに会うこともあまりなく、トラブルもたいしてなく、のんびりしたものなんですけどね。たまにハラスメント対応に追われたりはするけど。

私自身はもうあんまりTwitterも見ないものの、それでもときどき覗いてみるとやっぱり酷いことを言われているのが見つかったりしています。ブロックしまくっているから私からはほとんど見えなくなっているけど、たぶん私の名前で検索してもらうと優香にぶつけられているのと同じようなひどい言葉がいっぱい出てくると思う。(いちどあんまりに酷かったときに弁護士さんに相談した関係で、スクリーンショットも山ほどあります。……そんな思い出あまりに要らなすぎる)

ともあれ、おすすめの小説です。