あれこれ日記

趣味の話とか

2023年振り返り

今年はちょっといろいろあって、メンタルヘルスのダメージの大きい一年でした。そのおかげでいろんな連絡や仕事が滞ってしまって、各方面に申し訳ないです…。

今年の仕事としては、論文は3本出ています。いずれも招待論文ですが、まず『哲学の探究』に「共同行為のミニマリズム」。

哲学若手研究者フォーラム - 『哲学の探求』第50号目次

これは共同行為の分析において「ぎりぎり共同行為と言える例を分析する」という方針を採るひとたちの議論をまとめて紹介していたりするものです。2022年にJournal of Social Ontologyに載った"Concessive Joint Action"でも取り上げたテーマですが、それをもう少し整理してみました。"Concessive Joint Action"は以下。

Concessive Joint Action | Journal of Social Ontology

共同行為の進み方が開始時点の意図や計画で決定されないというのは、エッセイなどで「意味の占有」の読んでいる現象を形式的に扱うための中心的なアイデアなので(というか、そのアイデアがもととなって意味の占有という現象があるのでは、と考えるようになったので)、このあたりのことが論文にいくつかなってきたのは、本当によかったです。意味の占有のテクニカルな定式化の話なども、来年何かしら出る予定です。

ふたつ目は、『語用論研究』に載った「推意・意味・意図」という論文。招待枠ですがいちおうチェックもあり、「査読付き」としていいとのことでした。

三木 那由他 (Nayuta Miki) - 推意・意味・意図: グライスにおける推意 - 論文 - researchmap

ポール・グライスのなかでの推意の位置づけを論じた論文です。個人的な感覚としては推意の概念がグライスから独り立ちして言語学などで用いられたりするのはぜんぜん悪いことだと思わないのですが、それはそれとしてグライスにおける位置づけについても長年グライスを読んできた人間としてはちゃんと語っておきたいところ。

三つ目の論文は「コミットメントの意義と種別」。これはKLS: Selected Papersに載った招待論文です。

三木 那由他 (Nayuta Miki) - コミットメントの意義と種別: コミットメント概念の活用のために - 論文 - researchmap

意味論でも言語哲学でも最近コミットメントという概念がどんどん使われ出していますが、実は異なるコミットメント概念の区別と整理があんまりなされていないのではないかと感じていて、それを試みてみました。Geurtsさんの表記を発展させたフォーマルな表記も提案していて、私は気に入っているのですが、ゼミで話したらあんまりリアクションをもらえませんでした。まあ、ぱっと見るとアルファベットがあちこちに並んでいて目が滑りますね。

書籍は、私個人で書いたものとしては『言葉の風景、哲学のレンズ』(講談社)が11月に出ました。『群像』の連載をまとめたものですが、私はけっこう校正の機会があるたびにあちこち直すタイプなので、雑誌掲載時と文面が違う箇所がたくさんあります。

参加した本は、『われらはすでに共にある 反トランス差別ブックレット』(現代書館)、『みんなのなつかしい一冊』(毎日新聞出版)ですね。『われらはすでに共にある』では、「トランスであるだけで何を話してもシリアスに受け取られるけど、私だって本当はしょうもない話をしたいんだ!」と語ってます。『みんなのなつかしい一冊』では、「『枕草子』って百合だよね」という文章が載ってます。百合ですよね。

講演やイベントはいろいろあったものの、今年は学会発表に当たるものができなかったのが心残りですね。少し前に「これ論文になるかも」というアイデアが(共同行為関係で)ひとつ閃いたので、来年発表したり論文にしたりしたいな。

思い出に残ったのは、きんきトランス・ミーティングとカルチュラル・タイフーンでしょうか。きんトラはその後も「あのとき配信を見てました」と会ったひとから言われることが多くて、そのたびに嬉しくなります。

そのほかだと、いろいろインタビューを受けました。なかでも印象的だったのはマイナビさんのSTARTというサイトのもの。なんと、私を漫画にしてもらいました!

言語哲学者・三木那由他さんに聞く、会話を紐解くふたつの現象|おとな科見学|マイナビSTART

漫画好きとして、可愛い漫画になるのは何とも言えず嬉しいですね。

あと、『群像』の連載も相変わらず。今年は朝日新聞のウェブメディアRe: Ronでの連載も始まりました。こちらは『群像』のほうより柔らかめ、時事感強めでやろうとしてます。それと2024年の『中央公論』の「この漫画もすごい」の執筆者に加わることになりました。2月号では『琥珀の夢で酔いましょう』を紹介してます。

見たものや読んだものでも印象的だったのがいろいろあります。ジャンプラの漫画『バンオウ』は、連載は去年からですが、コミックスは今年からで、面白いですね。吸血鬼が将棋をする漫画です。ほかの人々とは違う時間を生きる存在の話が好きなんですよね。漫画だとネタバレを避けて遠回しに語りますが、ここ最近の『僕のヒーローアカデミア』は、もう「待ってた! 待ってました!」という感じです。

海外の漫画では、特に今年出たものではないですが、Emma GroveさんのThe Third Personは本当にとてつもなく素晴らしかったので、翻訳が出てほしいです。分厚いけれど、このすごさをいろんなひとに味わってほしい。Aceアイコンを目指すGwenpoolの活躍もあり、Marvelも相変わらず熱かったですね!

映画だと『ホエール』が印象的だったかな。映画館で声を上げて大泣きしてしまって、「これ、周りに迷惑かも、どうしよう…」と思ってたら隣の隣のひとも同じくらい大泣きしててほっとしました。ドラマは何といってもONE PIECEでオープンリートランスのモーガン・デイヴィスさんが(作中で特にトランスと言われているわけでもない)コビーを演じていたのが嬉しかったです。先日公開された映画Talk to Meでも特に作中でジェンダーモダリティは話題にならないでオープンリートランスのゾーイ・テラケスさんが演じていて、しかもけっこう嫌なやつ役だったのに感動しました。偏見に基づく嫌な描写でも健気なマイノリティでもなく、単に嫌なひとというの、あんまりトランスのひとに当てられない役ですよね。

ゲームだとStarfieldをかなりやっていたのですが、何やかんやで一周行く前に遠ざかってしまいました。でも、クィア表象が「どの性別のキャラともロマンスできます」というだけの空虚なものでなく、作中のしっかり女性同士や男性同士のカップルがいて、よかったですね。単数のtheyが字幕で「彼ら」や「やつら」になっているのはどうにかしてほしいです。

流行ったのは去年かと思うのですが、Vampire Surviversというゲームもやってみてます。作中に出てくるジオヴァーナという猫を使う魔女のキャラが、「assigned mage at birth」(出生時にメイジを割り当てられた)で、魔女の姉妹たちが「protect witches' spaces」(ウィッチ専用スペースを守れ)と言って攻撃してくるという設定らしくて(ベスティアリーのUndead Sassy Witchの項目に記載)、笑ってしまいました。これがきっかけで購入。言うまでもなく、「assigned male at birth」(出生時に男性を割り当てられた)女性がシスターである一部の女性たちから「女性専用スペースを守れ」の名目のもとで不当に攻撃されている状況のパロディですね。まあ、これも翻訳はそのことをまったくわからず訳しているみたいで、日本語だとちんぷんかんぷんですが。

英語のゲームだとこうしたクィアな描写がたくさん取り入れられてきていて、Redditなどで見る限りゲームファンのあいだでもそういうのを理解して楽しむ風土が出来つつあるように見えるのですが、翻訳段階でその点でのリテラシーが不十分で失われてしまうというのは、悲しいですね。Tell Me Whyなんかも、日本語字幕だと「情報に通じていないひとが訳したんだな」って感じでしたよね。

少し前にBaldur's Gate 3を買ったのですが、クィア表象が優れていると話題のこのゲーム、楽しみでありつつ翻訳がちゃんとしているか不安にも感じています。

そんなこんなで、ふらふらへばりながら漫画やゲームに生かされているような一年でした。来年はもう少し元気にやっていきたいです。

そういえば今年は河合塾の全国高校模試に私の文章が使われたらしく、なんとそれが『ヒロアカ』のかっちゃんの話をしている章だったようで、全国の高校生に私がかっちゃんファンであることをバラされるという、あまりほかに味わったひとがいなさそうな経験もしました。