あれこれ日記

趣味の話や哲学のこと

2023年10月、11月の仕事など

10月、11月にいろいろあったので、まとめます。

まず、10月14日に北海道大学にお呼びいただき、公開シンポジウム「LGBTQを「理解」するとは?」で「マイノリティの「理解」とコミュニケーション」という発表をしました。

三木 那由他 (Nayuta Miki) - マイノリティの「理解」とコミュニケーション - 講演・口頭発表等 - researchmap

「理解」というときに命題的な知識の獲得が想定されがちで、その観点から「理解」を得るためにマイノリティ側がすべきことも語られる場合が多いけれど、本当に求められているのはノウハウの獲得という意味での「理解」であり、つまりともにいることを学ぶということなのではないか、みたいな話をしました。

10月29日にはSOGIと○○を考えるプロジェクトさんにお呼びいただき、2023年度第2回ジェンダーフェミニズム学習会にて、マンスプレイニングについてお話ししました。

三木 那由他 (Nayuta Miki) - いったい何が起きているの!?~マンスプレイニングを分析する~ - 講演・口頭発表等 - researchmap

紀要論文にしようとしているのでそのうち公刊される予定ですが、実はマンスプレイニングには前から興味を持っていました。単に社会構造だけを語ると個別のこの発話の場面で何が起きているかが見えづらくなり、けれど個々の発話の場面での振る舞いだけを見ると社会構造の話が見えにくくなるように思えて、それを私の共同性基盤意味論と認識的不正義の話などを組み合わせて語っていけないかな、と思っていたのですよね。なので、そういった話をしました。

10月30日には中島伽耶子さんにお招きいただいて、東京都現代美術館での「黄色い壁紙」音読会に参加させてもらいました。会の様子は以下のリンク先で中島さんがまとめてくださっています。

https://www.kayakonakashima.com/work/essay/%25E3%2582%25B7%25E3%2583%25A3%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25AD%25E3%2583%2583%25E3%2583%2588%25E3%2581%2595%25E3%2582%2593%25E3%2581%25B8%25E3%2581%25AE%25E6%2589%258B%25E7%25B4%2599%25E3%2582%2582%25E3%2581%2597%25E3%2581%258F%25E3%2581%25AF11%25E6%259C%25881%25E6%2597%25A5%25E3%2581%25AE%25E6%2597%25A5%25E8%25A8%2598/

中島さんも書かれていますが「這う」で思い浮かべている動作がひとごとに違ったのが、私も面白かったです。いろんな這いかたがありますよね。

ジェンダーフェミニズム学習会と「黄色い壁紙」音読会は、たぶん主催の方たちが私の安全のこともかなり考えてくださっているのだろうと感じるような雰囲気で、緊張しやすい私にしては珍しいくらいリラックスして参加でき、とてもいい時間を過ごさせてもらいました。

11月4日には岸井大輔さんにお招きいただき、神保町のPARAにて、「「共有」の分析哲学」というお話をしました。

三木 那由他 (Nayuta Miki) - 「共有」の分析哲学 - 講演・口頭発表等 - researchmap

グライスやシファーの直面した困難を共有の問題としてまとめたうえで、ルイスのコンベンションの話やギルバートの共同行為の話を紹介しつつ、最後に"Concessive Joint Action"という論文で私がした議論やそこから考えている展開のことなどを話しました。

インタビューもいくつか公開されています。

ひとつは、マイナビさんのSTARTという、まだ就活を始める前の段階の学生さんを主な対象として、将来のことを考えるための材料を提供しているメディアからのインタビューです。前中後編に分かれています。

言語哲学者・三木那由他さんに聞く、会話を紐解くふたつの現象|おとな科見学|マイナビSTART

漫画に描いてもらったのは初めてなのですが、とても可愛い漫画になっていますよね! 私がとんでもなく人見知りであることや、「哲学を可愛くしたい」と思っている話などをしています。

withnewsさんの「啓発ことばディクショナリー」というコーナーのインタビューにも登場しています。

喫煙所が「卒煙支援ブース」に?三木那由他さんが思う言い換えの本質

同じものを指す言葉での言い換えは、一見すると「同じことを違う言い方をしているだけ」に思えるけれど、実は促す行為のレベルで違いがあるのでは、などの話をしています。北大の話も命題知からノウハウへみたいな内容でしたし、いつの間にやらずいぶんプラグマティストになってるな、と自分で思ったりします。

ところで、連載でも取り上げ、ここでも言及している阪大の「卒煙支援ブース」は、最近その名前を捨ててただの「喫煙所」に戻ったみたいでした(「卒煙支援ブース」の張り紙も一部残っているけど)。私はそこのユーザーでもないのであれなのですが、気になる言葉の例がなくなるのは少し寂しいですね。

文章を書いたりというほうでは、相変わらず群像とRe: Ronで連載をしているほかに、朝日新聞のオピニオン欄でカミングアウトについて書きました。

(寄稿)カミングアウトとは 哲学者・三木那由他:朝日新聞デジタル

これはRe: Ronの記事を改定したものなのですが、字数調整等の関係でけっこう書き直しています。内容的には同じですけどね。

そして、11月9日には、『言葉の風景、哲学のレンズ』が発売されました。

『言葉の風景、哲学のレンズ』(三木 那由他)|講談社BOOK倶楽部

去年の『言葉の展望台』以降の群像での連載をまとめたものですが、特に続きものとかではないのでこちらから読んでもらっても大丈夫かと思います。Fallout 4の話をしたり、マーベル映画の話をしたりしつつ、トランス的な経験のことも語ったりしています。弟が読んでくれたみたいで、私が(性別移行をしますという)カミングアウトしたときにどんな気持ちだったのかなどLINEで教えてくれました。

マーベルにハマっているという話はあちこちでしていますが、いまも気が向いたらサブスクでコミックを読んだりしていて、でもマーベル友達がぜんぜんいなくて情熱が燻っています。機会があれば思い切り誰かとマーベル話をして真っ白に燃え尽きたいです。いまのお気に入りはエスカペードとグウェンプールとシルクです。

『言葉の展望台』でSkyrimの話をし、『言葉の風景、哲学のレンズ』でFallout 4の話をしている以上は、そろそろ連載でStarfieldの話をすべきな気がするのですが、ゲーム自体は楽しんでいつつ、いまのところ言葉やコミュニケーションの関連で「ん?」となったのは単数theyを「彼ら」と訳していたくらいなので、Starfieldは取り上げられないかも……。

こんな感じでしばらく時間的、体力的にぜんぜん余裕がなかったのですが、ようやく一息ついたので映画を見に行ったりしたいですね。翻訳関係の仕事、原稿、その他いろいろ、まだまだ溜まっていますが。

トランスジェンダーで、解離性同一性障害で(Emma Grove, The Third Person, 2022, Drawn & Quarterly)

https://drawnandquarterly.com/books/third-person/

とてつもない作品でした。

著者の体験をもとにした自伝的なグラフィックノベル。主人公はトランスジェンダーの女性で、けれどずっと勤めていたレストランで女性として勤務したいと相談したものの拒否されてしまい、仕事を辞め、フルタイムで女性として暮らし出そうとしています。そして、トランジションにあたってホルモン治療の処方箋を出してもらいたいと思っている。

そんなわけで処方箋を求めてセラピストのもとに通うのですが、主人公ははっきりとした自覚はないものの、解離性同一性障害でした。大人しくて読書好きの女性エマ、おしゃべり好きで押しが強い「パーティガール」な女性カティーナ、そしてその二人を守り生活を成り立たせようとしている男性エド。ホルモン治療の処方箋を出してもらいたいだけなのに、解離性同一性障害の部分が引っかかって、セラピストは処方箋を出そうとせず、カウンセリングだけが続いていく。そしてその過程で「そもそも本当に解離性同一性障害なのか」とセラピストが疑い始めて、エマやカティーナとセラピストの関係が悪化し、よりいっそう事態が進まなくなり…。

と、あらすじだけ語るのでは、この漫画の魅力は十分に伝わらないように思えます。あとがきにあるのですが、名前からわかるように著者は主人格のエマで、自分の過去と向き合い解離性同一性障害が解消されたあとで、それでもカティーナやエドの記憶ははっきりと残っていないなか、「自動筆記」的な手法でとにかく記憶の断片を描き連ね、それを見て始めて思い出したことやそのあいだを埋める推測を通じて気づいたことを描き込み、それらをコラージュ式に繋ぎ合わせてひとつの自伝に仕上げていて、あちこちで反復が起きたり途切れたり、ただ事実を淡々と語るのとは違うエモーショナルなところが渾然一体となった作風となっています。それがすごい。

最初は治療がうまく進まないことに焦点がある話のように見えるのだけど、最後まで読むとこのすべてがエマとカティーナの友情の物語だったようにも思えてきます。

900ページ近くある長大な作品ですが、これはぜひ読んでほしい。1ページあたりのコマ数や文字数が少ないので、意外とそこまで読むのが大変ではないと思います。

舞台『かげきしょうじょ!!』

見たいと思いつつ、東京でしかやらないので諦めていた作品。でも配信があると知って、見てみました。

舞台「かげきしょうじょ!!」

さらさちゃんの愛ちゃんとの出会いと紅華入学から始まり、ロミオとジュリエットを題材にした初めての演技まで、歌とダンスを挟みつつしっかりと舞台にしていて、とても楽しかったです。

さらさちゃんを演じる志田音々さんのさらさちゃん感がすごくて、「さらさちゃん実在してる…!」と感動しますね。山田さんを演じる佐々木李子さんの歌も、録画で見ていても迫力がありました。

そして、原作では退場して久しい聖先輩…! 私、聖先輩がすごく好きなんですよ。聖先輩が底意地の悪いことをするたびに「好き!」となるし、また青山なぎささんの可憐さと意地悪演技との兼ね合いが絶妙でした。

あと個人的にとても気になったのが山田さんのお姉さんを演じられていたかた。とても好きなタイプの演技のかたでした。調べたら『カランコエの花』に出演されていた永瀬千裕さんなのでしょうか。すごく印象的でした。今後も演技を見ていきたい。

原作ファンとしては、やっぱり次のロミジュリのシーンは舞台で見たいので、続きもやってほしいですね。あと関西にも来てください!

岡野大嗣『うれしい近況』(太田出版)

岡野さんの第四歌集。神戸のジュンク堂にサイン本があったので、せっかくだからとサイン本を買ってみました。サインが可愛い。私も可愛いサインができるようになりたいです。

岡野さんの短歌は、確かに知っている、でもこれまで特にわざわざ言葉にしたことのない感覚や風景が、言葉にできるもの、するに値するものとして提示される体験が楽しいです。

書名にも取られている

ボーカルの話すうれしい近況のうれしいピークで鳴るハイハット

なんて、「ある! 確かにそれやってる! いままでそういうものと思っていて気にしてなかったけど、あれ本当は面白い時間だった気がする!」と気持ちがはしゃぎます。「うれしいピーク」という言い方も可愛くも端的でいい。

ほとんどは持って歩いた日の帰路にジャケットをハグみたいに羽織る

も、ちょうどこのあいだ札幌で意外に暑くてずっと上着を手に持って歩いて夜だけ着ていたのですが、そのときはあんまり意識せず「邪魔だな」くらいに思っていた上着の重みが、「ハグみたいに」で愛しいものだったような気がしてくるというか、本当はもとから愛しいものだったのに意識していなかったというふうに感じられてきます。

岡野さんの歌集はどれもおすすめですよ。

朱喜哲『〈公正〉をのりこなす』(太郎次郎社エディタス)

プラグマティストとしての朱さんの姿勢が全面に出ている本でした。よくあるプラグマティズムの本は、プラグマティストの思想を解説するものかと思いますが、これは朱さん自身がプラグマティズムを実践している本という印象です。

本の内容としては、ロールズを中心に「公正」のような重要な語の使い方を見ていくというもの。ただ、最初に書かれているようにそこがすでにプラグマティズム的で、意味を理論的に解説するというより(理論的にも解説しているけれも)、眼目はほかの語との使い分けの習得なのですよね。しかもそれを「日常の用法に戻ろう」とかでなく、「優れた使い方のひとたちから学ぼう」なのが、独特ですね。

プラグマティズムを解説する本はいろいろあると思うけれど、こんなふうにプラグマティズムをやってみせて「ほら、やってごらん」と語りかけるような本って、私はあまり読んだことがありませんでした。

ハイテンションなトランジションストーリー(Sara Soler (2023) US)

Sara SolerのUSという漫画を読みました。

WITNESS THE STORY OF US :: Blog :: Dark Horse Comics

もとはスペインの漫画ですが、私が読んだのは英訳版。

エッセイ漫画で、著者サラとそのパートナーのダイアナが主人公です。ずっと男性と認識されて生きてきたダイアナが、自分はトランスジェンダーかもしれないと言い出すところから話は始まります。そこから一緒に悩み、一緒に冒険して現在に至る姿がコミカルに語られていきます。

自分をヘテロセクシュアルと認識し、それゆえにダイアナの告白に初めは戸惑っていたサラが自分はバイセクシュアルだと発見していくなど、ふたりとものアイデンティティの話になっていたりします。

…と、淡々と書きましたが、この漫画の魅力はそこではなく、その異様なハイテンションさ! シナプスたちが会議をしてセロトニンを召喚するとか、ゴジラのように火を吹きながらバイセクシュアル宣言をするとか、とにかく怒涛の勢いでギャグを織り交ぜて話が進み、会話もユーモラスだし、サラの一直線っぷりも読んでいて気持ちいい。

トランスのひとやその周囲のひとの自伝なんて言うと、「もう見飽きたな」みたいに思いがちだけれど、本作は冒頭1頁目にいきなり「ありがちトランスストーリー」を、「私たちの話はこうじゃない!」と切り捨てるところから始まるのも小気味いいです。

全編に漲るシスヘテロ家父長制に中指を突き立てるようなエネルギーと、クィアな人々を包み込む優しさが同居していて、とにかくいろんなひとに読んでみてほしい漫画です。

個人的なお気に入りシーンは、自分がトランスかもとダイアナが打ち明けようとしつつ打ち明けられずにいるときに、サラが「何? どうしたの? まさか末期がん…!? それとも実はゲイだったと気づいた!? ひょ、ひょっとして、パイナップルピザが本当は好きだとか!?」などと言っているところです。パイナップルピザ…。

なかなかされないと思うけど、ぜひ翻訳もされてほしいですね。

山口智美・斎藤正美『宗教右派とフェミニズム』(青弓社)

宗教右派とフェミニズム | 青弓社

右派議員と生長の家日本会議統一教会といった宗教団体との連携を押さえながら、2000年代の「ジェンダーフリー」バッシングに至るまでの歴史的な流れを確認したうえで、それが「親学」、「女性活躍」、自民党改憲案、「歴史戦」などといったさまざまな局面にどのように繋がっていくのかを辿る本。

津田さんの解説にもありますが、ひとつひとつの点としては知っている事柄が、ジェンダーというトピックを通して線で繋がっていて、逆に言うとジェンダーというトピックをメディアが取り上げてこなかったからこれまで「点」にしか見えていなかったとわかって、いろいろなことが腑に落ちる思いでした。

そして、バックラッシュを進めてきた右派はさまざまに連携をとっているのに、フェミニズム運動の多くはそれぞれシングルイシューで戦っているという問題もある。日本軍「慰安婦」問題や在日コリアン差別、LGBTQ+への差別などに十分向き合ってこなかったマジョリティのフェミニズムの問題が、インターセクショナリティ(交差性)の軽視や否定として表れている。さまざまな課題が山積みの現在、日本のフェミニズムは自らが抱えている状態にさえ向き合うことができず、危機的な状態にあるのではないか。(208頁)

この指摘をちゃんと考えていきたいです。

私個人の関心としてはやっぱりLGBTQ+への攻撃のあたりが気になっていたのですが、読んでいて、2000年代の「ジェンダーフリー」バッシングを主導したのとまったく同じ面々がいまLGBTQ+の攻撃を主導していること、「そんなものを認めたら男女の区別が失われ、男女同室着替えetcを認めることになる」みたいな主張もほとんどまったく変わっていないことに、衝撃を受けました。いや、話では聞いていたけど、想像以上だったので…。私たちを攻撃するならせめて使い回しでなく、私たちとちゃんと向き合って私たち用の攻撃をしてほしい。いや、してほしくはないですが。

それでも、2018年のお茶の水女子大の発表以降、いわゆる右派に属しているとは目されない論者が次々とトランスへの攻撃をかすがいにして右派の運動に巻き込まれていく様子はやっぱり異様だったようで、明らかにその辺りの頁ではほかの箇所では出てこない人名がたくさん出てきて、読んでいて改めて「大きな波がここで起きている」という印象を受けました。

自分たちがいまどういう経緯のもとで焦点になっているのかを理解する助けになるとともに、同じ運動が多方面に広がっていくなかでほかにどういった人々がターゲットに含まれていて、それゆえに連携していくべきなのかを認識する手掛かりにもなったように思います。