あれこれ日記

趣味の話や哲学のこと

万丈梓『恋する(おとめ)の作り方』

トランスフェムあるある話のひとつに、「子供のころ漫画やゲームの女装キャラ/男の娘キャラなどなどが好きだった」というのがあるかと思います。(あんまり男のひととそういう話をしないので、トランスマスクのひとたちが同じような話をしがちなのかはわからない……)

私の場合は、『うる星やつら』で竜之介くんと並んでその許嫁の渚ちゃん(わかりますか?)が好きだったり、『らんま1/2』で呪泉郷に死ぬほど憧れて「中国のどこかにせめてその伝承のもととなった泉はないのか」と探そうとしたりしたし、『幽遊白書』といえば魅由鬼で(幽助の仕打ちはいまも許せない)、『クロノトリガー』でいちばん印象的なキャラは当然マヨネーで、『るろうに剣心』といえば「やっぱり鎌足と『そばかす』だよね」という感じでした。長じてからもその傾向はとどまることなく、『プラナスガール』とか『宇田川町で待っててよ。』などはハマって読んでいましたね。

ただ、自分自身のトランジションを経て、しかもいろんな漫画を読んで経験値が溜まっていった結果、いまの私はそういったキャラクターについて異様に強いこだわりを持つようになりました。そのため、女装キャラ等が出てくると聞いて読んでみてもいまいち乗れないものが多くなり……。

そんななか救世主のように現れ、第一話から最新話まで常に私を魅了している漫画が、万丈梓さんの『恋する(おとめ)の作り方』です。

https://comic.pixiv.net/works/6403

もうぜひ読んでほしい。私の夢とときめきが詰まっているこの漫画を。私にとって、女装/男の娘漫画の「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」的な存在です。(ちなみに『ワンピース』のトランスガールの菊ちゃんとトランスボーイのヤマトくん、『恋するワンピース』のほうの菊ちゃんも好きです!)

『恋する(おとめ)の作り方』(通称『おとつく』)の主人公は高校生で幼馴染同士の御堂賢士郎と日浦美果のふたり。

御堂は高身長でイケメンで人当たりもよく、要するに「モテる」タイプの男の子なのですが、実はひとにメイクをするのが大好きなるコスメマニアであることを周囲に隠しています。三人のお姉さんにメイクをしたり、そのためのグッズを買ったりに喜びを見出している。一方の日浦は、内気で友達も少なく、いつも猫背で俯いている感じの、小柄な子。

ある日、御堂は姉以外でもメイクを練習したいと考え、日浦にメイクの実験台になってほしいと頼みます。そして実際にメイクをしたところ、日浦はとてつもない可愛さになってしまい、御堂の胸が思いがけず高鳴って、……。といった感じの話です。

主軸はこのふたりの恋愛なのですが、それとともに女装をして学校に行くようになった日浦が徐々にこれまで親しくなかったクラスメイトたちに打ち解けていく様子なども丁寧に描かれていて、全体的にとても可愛らしい漫画です。

で、これだけだと私がそこまでときめく理由はわからないと思うのですが、いくつか重要なポイントがあるんです。

①日浦の女装が笑えるものや気持ち悪いものとして扱われることがない

いまではそういう描写はそもそも減っていると思うのですが、むかしの漫画だと女装キャラはギャグとして登場するのが基本で、「心は乙女の髭面筋肉質」か「見た目は美女だけど『付いてる』」かの二択というところがありました。前者は『クレヨンしんちゃん』とかで大量に出ていたのが有名ですが、『ワンピース』でもいっぱい出てきましたね。そちらはそもそも私は好きにならないのですが。後者のほうは一見したら美女だけど、「実は男」だというのがギャグとして明かされたり、その際にそれまで言い寄っていた男性キャラが嘔吐したりするというのがよくある語り口でした。『幽遊白書』の幽介は吐くだけでなく殴り倒してます。

後者の方も酷い描写なのですが、それでも「綺麗で、何も言わなければシス女性としてパスするトランス女性キャラ」というのは、「シスジェンダー」や「トランスジェンダー」の概念さえ持たなかった幼心の私にも何か訴えるものがあったのか、とても魅力的に感じていました。でも、それはあくまで表象がそもそも少なかったころの話。いまだと探せばもう少し人間扱いしている作品もぜんぜん見つかるので、正直なところいまさらこんな扱いの作品に新たに出会っても惹かれないわけです。

その点、『おとつく』はそもそも男子高校生として通っていた学校での話なので、方向性は「可憐な女の子かと思ったら実は……」ではなく、「あのもっさりと地味だった子が大変身!」に近く、むしろ『麗しのサブリナ』みたいな感覚で読めます。作中で気持ち悪いもの扱いしてくるひとも出てこない。

②日浦のアイデンティティの揺らぎが描かれる

日浦は作中で基本的には「女装が似合い、それがしっくり来る男の子」として自身を理解し、記述しています。 ただ、周囲の女性キャラを「ほかの女の子」と呼んだり、女の子同士の集まりに行くのがだんだんと普通になったりなど、そこかしこに女の子側に帰属意識を持っている節も見え隠れします。また、「自分が女の子だったら」という願望が語られることもあれば、「自分が女性として生きることになるのか男性として生きることになるのか決められない」みたいに葛藤しているシーンも見受けられて、「クエスチョニング気味の暫定男の子」くらいの描写になっているのかな、と感じます。

女装男子や男の娘のキャラクターって、どうも自分の「男性」としてのアイデンティティがかなり明確であることが多いように思えて、そういうひとも現実にいるには違いないけど、でもこの社会であえて異性と見られるような格好をして暮らすなら、そのように見る他人の視線との狭間でアイデンティティに迷うというのは、むしろよくありそうなことなのではないか、とも思うんですよね。そのわりにそういう描写が少ないのでは、と。

この作品は、おそらく基本的には「女装が好きな可愛い男の子」の方向で進むのだと思うのですが、「もうそういう設定だから」みたいに済ませず、日浦の葛藤を描いているのがとても好印象です。女装時の自分の言動に不安を抱いてあえて男装に戻ってみるというエピソードなどもあるのですが、このあたりトランスフェムあるある話でよく出てくる「あえて『男性らしく』してみようとしたこともあった(そしてできなかった)」というのを彷彿とさせます。言動の変化が根本的には服の違いによるものではないという落とし所も、私にはとても納得のいくものでした。

③日浦のトランジション追体験できる

これは、大事なところです。いわゆる「男の娘」キャラの多くは、初登場時からフェミニンな容姿をしていて、「そういう子」という位置付けになることが多く感じます。そうすると現実の人々とは違う「妖精」的な存在になってしまいがち。

日浦の場合、はじめにメイク前のもっさりした姿が描かれるし、作中でも何度か女装し出す前のエピソードが出てくるんですね。実際にそういうふうに姿を描くかどうかなどは必要なことも必要でないこともあると思うのですが、「どこからともなく現れた妖精さん」みたいな存在ではない、トランジション前にもこの社会で生きていた子なのだと読んでいて感じられると、共感度合いがまったく変わってきます。

あと、女装し始める前後での人格の一貫性が感じられるのもいいですね。明らかに女装することで明るくなったりはするのですが、同じ人物が鬱屈を抱えていたときとそれがなくなったとき、くらいの描写になっていて、言葉遣いとか仕草とかもそこまで極端に別人になっていない。このあたりとても好きです。

④日浦が(シスの)女の子っぽすぎない

これを私が重視するのは意外に思われるかもしれないけど、むしろ大事なポイントです。幼稚園とかからずっと女の子として暮らしていて、みたいな移行が早いタイプだとどうかわからないのですが、そうでない場合は、やっぱりシス女性とまるで変わらない体をしているわけでも、まるで変わらない経験をしているわけでもないことが多いと思うんです。でも、多くの男の娘キャラは、本当にほかの女の子と差がない描かれ方をされている。

日浦はその点、おそらく意識的に脂肪が少なすぎる体つきになっていたり、全体的に少しばかり筋っぽかったりになっている。やりすぎると逆にステレオタイプ的な女装キャラになってしまうのですが、うまいこと可愛らしく、かつシス女性ではないとわかる描き方になっているように思います。

そして、物語にもそれが関わってくるんですよね。例えば、自分の体つきを気にする日浦に対し、御堂はほどよくフェミニンでほどよく日浦の持っている身体的特徴も活かした、日浦だからこそ似合う服装というのを提案したりする。それが実際に可愛いのもいいし、「単にフェミニンな服を着せただけでは日浦の魅力が発揮され切らない」と感じるほどに御堂が日浦のことをよく見ていて、そしてその身体的特徴を魅力的なものと捉えているあたりなどが、かなりぐっときます。

特に印象的なのは、水着を選ぶシーン。私の知っている女装/男の娘キャラは平然とフェミニンな水着を着てきて周囲から「本当は女なのでは」みたいなことを言われるというのが、ありがちな展開でした。でも、日浦は海に誘われてかなり辛そうな表情をするんですよね。自分はほかの女の子とは違う体つきだから、水着を着るのはさすがに怖い、と。この悩みを御堂が見事に解決する様子も素晴らしいです。

御堂と初めて手を繋ぐシーンなども、「ほかの女の子とは触り心地が違う」「でもそれでいい」というふうになっているのが、すごくいい。

身体的にまったく同じものと描かれてしまうと、現に自分が感じていることと乖離するので冷めてしまうのですが、そこをしっかり受け止めたうえでその違いを肯定してもらえるというのは、なんだかもう、満点です。

他方で、この作品では性器の話は直接的にはしないんですよね。そもそもトランス相手だからってずけずけと性器の話をするのがまともな神経ではないわけですが、それでも漫画ではトランスと言えば性器みたいな扱われ方をされがち。でもこの作品での日浦の身体的特徴として出てくるのは、脚の肉付きだったり、手の感触だったり、髪質だったりしていて、その点でもすごく読みやすいです。

ありがちな「身体的な描写においてシスガールと変わらないけれど『ついてる』」みたいなのは、シスガールと類似させすぎる点でトランスの身体性を無視していると感じるし、「でも『ついてる』」を強調することでトランスの外性器をフェティッシュ化しているように感じて、率直に言って気持ち悪い。そういう不安はこの漫画にはありません。

⑤御堂がトランスフェムの夢の存在(だと思う)

さんざん日浦の話をしていてあれですが、実は本作を読んでいて私が「羨ましい」と感じるのは日浦ではなく御堂の存在。というか、御堂という幼馴染を持っていること。

メイクもしてくれるし、ヘアアレンジもしてくれるし、どこに行くかを伝えればぴったりなコーディネートをしてくれるし、自分の身体的特徴でコンプレックスな部分があればそれをうまく隠す服を探してくれるし、「周りの女の子と違う体をしている」と悩みを吐露すれば「でもそれでいい」と肯定してくれるし、なんだかもう、一家に一人御堂がいればトランスフェムたちのメンタルヘルスが大幅に改善するのではないかという、夢の詰まった存在なんです。

日浦はさすがに可愛すぎて自己投影の対象ではなく、「私と同じ悩みを抱えたりしている若い子を応援する」みたいな見方になるのですが、御堂はファンタジーがたっぷりすぎて「私にはこんな幼馴染はいなかったけど、もしこんな幼馴染がいたら…」と、存在しなかった青春時代を空想してしまう。だからこそ、御堂と日浦が思い切り青春を生きる姿が本当にキラキラしてて読んでいると泣いてしまうんです。そういうのは可能性さえないと思っていたけど、この漫画を読んでいるとそういう人生の可能性はどこかにあるのではないか、こんなふうに生きれるトランスガールはどこかにはいるんじゃないか、と思わされる。そのことが本当に嬉しい。

たぶん日浦が描かれるだけではそういう気持ちにはなれなくて、御堂という人物が日浦の隣にいるからこその感覚なのだと思います。みんな御堂の夢の存在っぷりをぜひ読んでほしい。

 

そんなこんなで、この漫画が本当に好き。同級生にアセクシュアル/アロマンティックっぽいキャラも出てきていて、そちらも気になるところです。

ほかにもいい女装/男の娘漫画がないかなとたまに探すのですが、なかなかここまでツボを押さえた作品はないんですよね。現状だと私のなかでは本作が最高傑作です。誰かほかにいい作品をご存知だったら教えてください。