あれこれ日記

趣味の話や哲学のこと

Kamili Posey (2021) Centering Epistemic Injustice, Lexington Books

こちらも先の投稿と同じように少し前に。

本書は認識的不正義の議論であまり顧みられてこなかったマイノリティ側の実践の話へと焦点を当てているのが特徴的です。認識的不正義の議論はややもすると本当に認識実践の話だけ切り離したものになりがち(に、あまり勉強が足りていない私には見えるの)ですが、本書では認識実践以外のさまざまな暴力がマイノリティ側の実践的な工夫として証言的不正義を生じさせるという点をかなりしっかり描き出しています。

例えば、仮に聞き手側が証言的な徳を涵養してフリッカーの証言的不正義の定式化で現れるような偏見を逃れていたとしても、話し手側がこれまでの証言的不正義の経験から、あるいはもしも信じられなかったなら物理的な暴力(殴打や逮捕や殺害)の可能性があると恐れていたなら、「あらかじめ自分の信頼性を格下げしておく」というノウハウを身につけている可能性が大いにあり、その場合、マジョリティ側が徳を育むだけではこの構造的な問題は解消しないのではないか。

ポージーも基本的に現実に起きた事件を取り上げていて、しかもそれが証言が信頼されず射殺された被害者の話だったりするので、フリッカーを読んでいてぼんやりと単に認識的な事柄だと思っていた認識的不正義が命を奪うような物理的な暴力と繋がっているということに、(本当は初めから意識して然るべきなのにようやく)気付かされました。