あれこれ日記

趣味の話や哲学のこと

周司あきら『ラディカル・マスキュリズム』

男性学の歴史を語り起こしながら、反フェミニズムでも「反省」でもない、男であることを受け止めつつ半フェミニズムへと向かう立場を構築していこうという本。たいへん面白かったし、歴史の話など勉強になりました。

もちろん一概に言えるわけではないけれど、全体としてシスジェンダーのひとたちって自分の性別に関してつまらなそうにしてるなと感じることが私も多かったりします。もちろん「女らしさ」や「男らしさ」はしんどかったり、有害であったりするわけで、そういう規範からは解放されていきたいし、またジェンダーに基づく社会的位置づけも改善していくべきもので、楽しむような対象ではないと思うのですが、それらと切り離された「自分がこの性別であることそのもの」をしみじみ味わうみたいな感覚があまりなさそうに見えるひとが多いのですよね。というか、そもそもそこが切り離せるというのがあまりピンとこないひとが多そうというか。

周司さんもそんなようなことを語っているように、別にトランスのひとたちはある性別で暮らすことの利益や不利益を鑑みてその性別で暮らし出すとかではなく、その性別で暮らし出したら「おや、こんなことが起きますか」と付随的に経験するということが少なくないはずで、だから社会におけるステレオタイプや規範だとか構造的な抑圧だとかの話とは別に、その性別であることそのものをそれぞれの仕方で味わい、語り合えるようなところがあると感じています。

そんな感覚のあるひとには、すっと馴染みそうな本です。