あれこれ日記

趣味の話や哲学のこと

Florence Ashley (2023) "What Is It like to Have a Gender Identity?"

Mind, 132 (528): 1053-1073

https://www.florenceashley.com/uploads/1/2/4/4/124439164/ashley_what_is_it_like_to_have_a_gender_identity.pdf

ジェンダーアイデンティティを持つとはいったいどういうことなのかというテーマの論文。著者のフローレンス・アシュリーはジェンダーモダリティ概念の提唱者でもありますが、矯正治療について扱った本もあったり、ROGD等の反トランス疑似科学への批判もきちんとやっていたり、めちゃくちゃ仕事の多いひとで、いったいどうやっているのでしょう。カナダの司法システムを知らないのですが、最高裁での書記?かな、何らかのスタッフもやっているみたいです。

ジェンダーアイデンティティに関してはあまりに多種多様な語り方をされます。あるひとは「体がこうだから自分の性別はこう」と体の形状に依拠して語る、あるひとは「子供のころ人形遊びが好きで、自分が女の子だと気づいた」のようにステレオタイプ的な振る舞いとの関係で語る、あるひとは性別違和の経験をもとに語る、さらにほかの語りもいろいろ。この論文の目的は、そうした語りのすべてを正当なものと見なせるような包括的なジェンダーアイデンティティ論の構築です。

その核のひとつとなるのは、ジェンダーアイデンティティジェンダー主観(gender subjectivity)の区別。あるひとのジェンダー主観とは、そのひとが持つジェンダー化された経験(gendered experience)の総体と定義されます。ジェンダー化された経験とは、そのなかで自分のどこかの側面がジェンダーと関係づけられているような経験のことで、いずれかのジェンダーステレオタイプ的な振る舞いをした経験、あるジェンダーグループの一員と見なされた経験など、さまざまなものが入り、このなかに性別違和の経験やジェンダーユーフォリア(違和=dysphoriaの逆)の経験も含まれます。ともかくジェンダーに関係していると認識されるあらゆる経験、くらいの理解でいいと思う。

私たちが持つジェンダー化された経験が集まって、私たちのジェンダー主観はできている。けれどそれだけではジェンダーアイデンティティは決まらない。そのジェンダー主観を材料にして「現象的総合(phenomenological synphesis)」をした結果がジェンダーアイデンティティだ、と論じられます。これはざっくりと言うと、ジェンダー主観に何らかの理解の枠組みを当てはめた結果としてジェンダーアイデンティティができる、みたいな話。

基本の枠組みはこうなのですが、いくつかのポイントがあります。

  1. ジェンダー主観はジェンダーアイデンティティを決定し切らない。まったく同じジェンダー主観でも、総合の仕方が異なり、別のジェンダーアイデンティティに結実することが可能。これにより、ほとんど似た経験をしつつ異なるアイデンティティを持つ場合を説明できます。
  2. ジェンダー経験は場面場面で、時期によって、さまざまな外的要因で変わりうるため、それに連動してジェンダー主観やジェンダーアイデンティティもダイナミックに変わりうる(というか基本的にダイナミックなもので、「変わらない」というのも「固定されている」ではなく「安定している」ということ)。
  3. ジェンダーアイデンティティというものがそのひとの本質的な何かとしてまず与えられていて、それがさまざまな経験(性別違和など)をもたらしている、というモデルからの脱却。むしろ、さまざまな経験のほうこそが出発点であって、それらからの解釈としてジェンダーアイデンティティは生まれる。(ただしこの「解釈」はほとんど自分の自由にはならない前意識的なもの、とも論じられる)
  4. ジェンダーアイデンティティ自体はほぼ自動的でアンコントローラブルだけど、その引き受けが、ジェンダー化された経験に違った色付けをした結果、ジェンダー主観が変わる可能性はある。ひとたび自分が男性なのだと認識したら、これまで何とも思っていなかった過去の経験が「あれも、いま思うと……」というふうに再解釈され、さらにアイデンティティが強固になるとか、わりとあるあるかな、と思います。

「心の性別」的な発想も「脳の性別」的な発想も退け、またトランスジェンダーとシスジェンダーとを同列に扱って説明するモデルになっているのがよさそうなところ。性別違和に当たる経験をしながらシスジェンダーとして生きているひとの話とかも出てきます。

一方で、個人のレベルの話にとどまっているように思えて、あるジェンダーアイデンティティを形成するということが持つ、社会とのつながり方に関する含意とか、そういう話はあまりありませんでした。そして読んでいて、私はむしろそういう話に関心があるのだなと気付かされました。

ともあれ、とてもいい論文です。具体的な例も豊富かつ面白いし、これまで読んだジェンダーアイデンティティ論文に比べてかなり繊細にいろんなひとを掬い上げる議論になっているように思いました。アシュリーさんと、あとデンブロフさんなどは、具体的な人間の多様さをしっかり議論の前提にするという姿勢が印象的ですね。

簡単なものながら既存のジェンダーアイデンティティ論の紹介も最終節にあるし、ジェンダーアイデンティティについて哲学的に論じたいひとはとりあえず読んでみたらいいと思います。