あれこれ日記

趣味の話や哲学のこと

高井ゆと里・周司あきら『トランスジェンダーQ&A 素朴な疑問が浮かんだら』(青弓社)

トランスジェンダーQ&A 素朴な疑問が浮かんだら | 青弓社

シスジェンダーにとってわかりやすい視点でトランスジェンダーについて語る本はいろいろとあるけれど、実際にはシスジェンダー中心の社会で一般化されている概念枠組みにはトランスジェンダーの現実の生を語るうえで(そして本当はシスジェンダーの現実の生を語るうえでも)不十分な面がたくさんあって、だから「シスジェンダーにとってわかりやすい」はたいていの場合「トランスジェンダーの現実に大して接近していない」だったりします。

そんななか、本書はかなり珍しい「トランスジェンダーの現実の生を解説し、そのために必要な概念枠組みを提供し、そしてシスジェンダー中心の社会を理解するうえでも(うえでこそ)その概念枠組みが必要である理由をしっかり説明する本」でした。

例えば、トランスジェンダーについて語るときに持ち出されやすい「体の性別と心の性別(あるいはジェンダーアイデンティティ)のどちらで扱うべきか」みたいな話。これが非常に粗雑でそんな二者択一のなかで現実のトランスたちが生きてはいないというのは、生身のトランスたちやその近くで生きる人々にはほとんど自明の事実だと思います。だって、世の中のたいていのひとって多くの場面で性別分類を実践するうえで他人の体にもジェンダーアイデンティティにも多くの場面で大して注意を払わないから……(このことは私もRe: Ronで軽く触れたことがある)。

本書は、性別に関して採用すべきふたつの枠組みを提示し、それがトランスの生を理解するうえでも現在の社会の運用を理解するうえでも必要であることを説明しています。すなわち、

  1. 性別を①書類の性別、②生活の性別、③身体の性的特徴、④ジェンダーアイデンティティという異なる次元から構成される多元的なものとして理解する。
  2. 4つの次元のいずれがどのように重みづけられるかは、文脈によって、つまり互いのことを個人的に知っている職場や学校なのか、知らないひとが行き交う街中なのかなどによって異なる。

これは単にトランスがそう生きているという話ではなく、現実の社会の運用がそのようになっていて、トランスはそのなかでサバイブしてきたから社会がこうなっていることを多くの場合に否応なく肌感覚として理解せざるを得なかった、というのが正確なところだと思います。シスジェンダーの人々は実際のところこんなふうに「性別」という分類を使っていて、にもかかわらず多くのシスのひとは4つの次元が互いに齟齬をきたす経験や文脈によって性別の扱いが異なる経験を欠いているために、自分たちの実践がそんなふうになっていることを意識できていない。

哲学者ホセ・メディナさんの議論などにも通じることだと思うのですが、多くのシスジェンダーの人々はトランスジェンダーの人々について理解していないという以上に、何よりも自分たちシスジェンダーについて理解していないとよく感じます。そして、この社会がシスジェンダーの人々を中心に運営されていて、トランスの困難がその社会との摩擦のなかにある以上、本当はシスジェンダーのことをわからないとトランスジェンダーの生がわからない。にもかかわらず、「トランスジェンダーについて知りたい」というひとのほとんどは自分たちがどう生きているかはなかなか知ろうとしない。……と、感じる機会が多い。

この本はトランスジェンダーについてのQ&Aですが、それ以上にシスジェンダーについてトランスたちが知っていることを伝える本である、と感じます。そしてこれは、単に日常での事実を伝えているだけであって(トランスにとっては例えば「ひとは野菜を買うときにスーパーか八百屋に行くよね」レベルの話だと思う)、「議論」の対象ではなくその前提である、と言えるかと思います。最低限、このくらいは踏まえてくれないと、そもそも「議論」も「対話」もできない。本書にもそこかしこで、端的な事実を知らないまま想像でトランスについて「議論」したがるひとへの苛立ちを感じさせますが、読んでいてめちゃくちゃ共感します。

トランスジェンダーについて何か言ったり考えたりしたくなったら、少なくともこの本で語られていることくらいは押さえておいてほしい。そして、そんな本がきちんと出版されたことが心強く思えます。これからは何度も何度も同じ話を繰り返させられるのでなく(本当に、これまで何度も何度も何人ものひとがとっくに伝えていることのはず)、「とりあえずこれを読んでからにして」と言えるようになるわけですから。