あれこれ日記

趣味の話や哲学のこと

論文「コミュニケーションにおける不正義」

『中部哲学会年報』55, 1-11頁

名古屋大学学術機関リポジトリ

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2022年に中部哲学会のシンポジウムに招かれ話した内容をもとにした論文です。書いたのが一年くらい前なので、ややいまと考えが変わっているところがあるかもですが……。

2019年の『話し手の意味の心理性と公共性』(勁草書房)では、コミュニケーションを共同的コミットメントの形成として捉える枠組みを提示しました。つまり、一種の共同行為の起点として見なすわけですね。2022年の論文"Concessive Joint Action"では、共同行為がその開始時点における共有の目的によっては決定されず、アドリブ的に変化しうることを指摘しました。

本論文ではこれらを組み合わせ、コミュニケーションがなされることで形成された共同的コミットメントがアドリブ的に変質していく可能性を指摘し、そのひとつのパターンとして話し手の意味することが聞き手によって決定されるという現象があると論じています。

これにより、冒頭に掲げたいくつかの引用で語られている、解釈権を奪われるというマイノリティの経験を理解できるのでは、というのがおおよその議論です。