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【ネタバレあり】飯塚花笑監督『ブルーボーイ事件』

映画『ブルーボーイ事件』|絶賛公開中

発表されたときから見たかった映画。主演の中川未悠さんは以前に出たらしたドキュメンタリー映画で知っていたり、そのドキュメンタリーの上映後トークみたいなのに母が行ってみていたりで、「いまどうされているのだろう」とときおり気になっていたのですが、なんと映画で見ることになるとは!

パンフレットの話だと、演技をしていたというわけではなく、オーディションの話を知って演技未経験ながら応募したということのよう。でも最後のほうの長いセリフの迫力も印象的で、とてもいい演技をされていたと思います。

本作はかつて実際に起きたブルーボーイ事件を題材にした映画。私も事件そのものはさすがに知っていましたが、単に「性別適合手術を実施した医者が優生保護法違反で捕まり、裁判でも負けてしまった」としか認識していませんでした。本作ではその背後に戸籍が男性の状態で女性としてセックスワークに従事する人々をうまく取り締まらない法制度に痺れを切らした警察と検察が、本人たちを取り締まらないなら手術をする医者を見せしめに捕まえて圧力をかけようという目論見で動いた流れが描かれていて、単なる歴史的事実ではなくその時代を生きる人間たちのドラマとして感じられました。

やっぱりトランスジェンダーの人物の役をトランスジェンダーの俳優がやっているのは、見ていていいですね。トランスジェンダー当事者にとってトランスジェンダーであることって別に演技の対象ではなくて、単なるそのひとそのもののありかたなんですよね。「トランスジェンダーはこういうもの」という決まった振る舞いや慣習があるわけでも特にない。背が高いひとが見つからなかった代わりに背が低いひとが頑張って背が高いかのような演技をするとか、広島弁を喋れないひとが頑張ってそれっぽい方言に挑戦するとか、うまいひとはそれでもそれなりにこなすと思うのですが、ぎこちなくはどうしてもなるうえに「いや、そんなところにリソースを割くくらいなら、初めから背の高いひとや広島弁のひとに演じてもらって、それ以外の人物造形を深めたほうがいいのでは?」と感じると思います。

シスジェンダーの俳優さんがトランスジェンダーの人物を演じるのってそんな感じで、本当なら演じなくたっていいことをわざわざ演技の対象(しかも場合によっては中心的な)にしていて、そのちぐはぐ感が不満足に思えることが私は多いです。その点、本作はみなさん自然と「単にそういうひと」という雰囲気で、楽しかったです。珍しい気がする性格が悪い中村中さんもすごくよかった。あんな感じの意地悪なひと好きです。

そして何といっても、終盤の中川さんの証言シーン! 作中で検事や傍聴人はぽかんとしていますが、「本当にそう! そうだよ! なんでこういうリアルな心情を誠実に語るセリフがこれまで少なかったんだろう!」と強く思うくらい、まるで私自身の心がスクリーンで語り始めたと感じられるくらい、真実の言葉に響きました。

特に(正確な文言は少し違うかもしれませんが)「はい、私はいま幸せです。でもあなたたちの考える幸せではありません」のセリフ! これは本当にめっちゃくちゃ素晴らしいセリフでした。私も幸せだし誇りも持っているけど、それはでも世間で素朴に思われる幸せでも誇りでもない。それが何なのかを言葉で説明するのは難しいけど、同じものを持っているひとは、しゃべっていると何となくわかる。それが映画で示されるというすごさ。

そして幸福追求権を介して思想も目的も違うトランスたちがそれでも同じ圧力と戦っている仲間だと示すシーンもたまらなかったですね。錦戸亮さんの演技もよかったですよね。最初のほうのやる気はあるけど何もわかっていないいかにも「善意のマジョリティ」みたいなときも含めて。

全体として、いまの私たちのいる場所に至る歴史と、そしていま私たちが生きる現在とが重ね合わせられながらそこにあるような映画でした。ブルーボーイ事件は、私にとってはずっと「むかしこんなことがあったらしい」程度のことだったのですが、確かにその事件にはそこで生きる人々がいて、その先に自分がいるのだと思えました。

それとともに、作中で主人公のサチが直面する問題、例えば医者を見つけることができずにあちこちに電話をしては断られる(作中では性別適合手術の問い合わせでしたが、ホルモン治療の問い合わせだといまでもよく聞く話です。手術をしたひとの場合、ホルモン補充なしだと体調を大きく崩したり、骨粗鬆症のリスクが高まったりするのに)、どれだけパスするひとでもバレると職場にいられなくなるなどのリスクがあるから常に怯えているなど、リアルタイムでよく聞いたり、私自身も経験したりしたことでした。だから、あの映画には現在を見出すこともできる。現在に繋がる歴史であり、かつ現在そのものでもある映画、それが本作を見て抱いた印象です。

パンフレットでの三橋順子さんの解説もとても勉強になって、ほかにも執刀した医師はいたのに捕まったりはしていなかったとか、それにもかかわらず手術自体が違法だと見なされたという認識が広まって日本のトランスジェンダーの医療が非常に遅れることになったとか、まるで知りませんでした。

ここ10年くらいの様子は詳しく知らないのですが、10年くらい前でも日本はわずかに性別適合手術をおこなえる病院があるものの、医者も経験も少なく、順番待ちも多く、基本は海外に行くという状態でしたね。海外の場合、何かあったときのフォローがスムーズに受けられないなどトラブルの可能性も高まると思うんですが、それでも日本では受けられる場所が少ないので。ホルモン治療をしたことがあると混合診療と見なされて保険が効かないというのもあって、意外と国内で手術を受けるのとタイなどで手術+渡航+宿泊+通訳や案内のひと(アテンダー)に来てもらうの費用とでそんなに差がなかったのも、大きかったかも。いまはタイも物価など上がってそうだし、どうなんでしょうね。