今回はNo means noの話です。これに関してはレイ・ラングトンという哲学者による言語行為論に基づいた有名な分析があって、その紹介をしています。
ラングトンのこの業績はずいぶん前のものですが、その後もメアリー・ケイト・マクゴワンなどが言語行為論的な観点からの人種差別的な発言の分析をしていたり、最近読んだ以下の論文では言語ゲーム的な観点からガスライティングの分析をしたり、こうした研究はどんどん増えてますね。
Some Reflections on Gaslighting and Language Games | Feminist Philosophy Quarterly
鍵となりそうなのは、個別の言動と社会慣習のつながりなのだと思います。言語行為論にせよ、ブランダム的な推論主義にせよ、ルイス的な言語ゲーム論(とたまに慣習論をプラス)にせよ、言語活動を媒介にして個人レベルの言動を社会慣習と結びつけることでそのメカニズムを捉えようという傾向を感じます。私自身が以前に書いたマンスプレイニングについての論文もその方向性。
個人レベルの有害な振る舞いとか心理レベルの害とかに留まらないかたちで論じるうえで、言語哲学は有用そうに思っています。