https://www.kongoshuppan.co.jp/smp/book/b651224.html
暴力とケアをめぐるこちらの論集で、「コミュニケーションと意味の占有」という章を書いています。
『言葉の展望台』などでもアイデアとして語っていた「意味の占有」ですが、実は私のなかでは『話し手の意味の心理性と公共性』(勁草書房、2019年)のコミュニケーション論と"Concessive Joint Action" (Journal of Social Ontology, 2022)の共同行為論を繋げることから出てくる理論的な帰結としてずっと構想していたものでした。理論が先にあったはずなのに、そちらをちゃんと文章にしないまま具体的な事例の話のなかで使ったため、きちんとしたバックグラウンドが抜けている状態だったんですね。
この論考でようやくそれらふたつの仕事を接続して、意味の占有概念を理論的に導く話ができました。最後にトランスジェンダー関連の話題として、T. M. ベッチャーさんの言うトランスコミュニティと支配的コミュニティにおける「女性」の言葉の違いという例を挙げ、現実のマイノリティに意味の占有がどのように向けられるかという話もしています。
思い切り自分の考えばかりの論考なので何か既存の哲学者の議論などが学べるタイプの文章ではないのですが、『言葉の展望台』などでたまにしていた話をかちっと語るとどんな感じなのか、興味があるかたは手に取ってみてもらえたら嬉しいです。