あれこれ日記

趣味の話とか

2022年振り返り

2月

Whipping Girl応援イベント

まめたさん、ゆと里さんと、Whipping Girlの推しポイントなどの話をしました。翻訳が出るのが楽しみ。

 

短歌ムック『眠らない樹』8号「自らが語る現場へ(岡野大嗣『音楽』(ナナロク社)書評)」

初の、というかいまのところ唯一の歌集の書評。以前から歌集を読んでいた岡野さんにサイン本をいただきました。宝物。

 

IGN Japan「クィアなみんな、魔法の時間だ!『Ikenfell』は居場所のなかった私たちが待ち望んだRPG

今年がんばった仕事はたくさんありますが、ひたすら楽しかった仕事といえばこれ。インディゲームIkenfellのレビュー。魔法の世界のクィアなゲーム。「魔法使い物語は好きだけど、もうハリポタは楽しめない」というひとにはおすすめです。

クィアなみんな、魔法の時間だ!『Ikenfell』は居場所のなかった私たちが待ち望んだRPG

 

3月

ワークショップ「発話行為言語学言語哲学」での「「意味する」とはいかなる行為か」

ご招待いただき。基本的にはグライスの話のまとめです。

 

『片袖の魚+東海林毅ショートフィルム選』ゲストトーク 

『片袖の魚』は、いまのところ日本のトランス映画で最高峰だと個人的には思ってます。そのトークイベントに呼ばれました。学生時代から通っていたみなみ会館にて(映画館の場所は変わってるけど)

 

Philosophia OSAKA (17) 19-28, "Transgender Experience and Gender as an Aristotelian Essence "

私初のトランスジェンダー哲学の論文。紀要なのであまりかちっとしていないですが、Charlotte Wittのジェンダー形而上学をいくらか修正することでトランスジェンダーの性別移行の経験を語るのに使えるのではという話をしました。推し小説をたくさん引用してます。

大阪大学学術情報庫OUKA

 

大阪大学大学院文学研究科紀要』62巻1-17、「取り消し可能性と言い抜け不可能性」

『話し手の意味の心理性と公共性』で公共性のメルクマールとして「言い抜けができない(「そんなこと思ってもいないし」みたいなふりができない)」というのをあげていたら「会話的推意は取り消し可能だから言い抜けできることになるのでは」と疑問をいただいたことへの応答。ぜんぜん違う(と私は認識している)現象をうまいこと対応させて類似の現象としてまとめたうえで違いを語ろうとするというへんてこなことをしたために、かえってこんがらがっている気もします。ここではそう語ってはいないけど、正直なところグライスの時点ですでに①話し手の意味の事例か否かに関するグライスの判断、②会話的推意の事例として挙げているもの、③会話的推意は話し手の意味の一部であるというおそらく標準的なグライス解釈は齟齬をきたしているのではないか(だから会話的推意としてグライスがまとめている現象は実は一枚岩ではない雑多なカテゴリーになっているのでは)と思ってます。

大阪大学学術情報庫OUKA

 

待兼山論叢(哲学篇)』 56号 1-16、「地上のロゴス: 概念分析と偏見」

分析フェミニズムでなされている認識的不正義やその他の話を、哲学者の言語実践に向けてみた論文。確か哲学者と思われるひとたちがTwitterなどでトランスジェンダーについて想像だけでナンセンスなことを言って喜んでいたのを何かのときに見かけて、腹を立てて考えた話です。私自身にももちろん言えることですが、哲学者たちには自分たちが取り立ててほかより立派なわけでもない偏見だらけの普通の人間であること、そしてその偏見のままになされる「害のない」議論や思考実験が世の中に山ほどある「単に言ってみただけ/訊いてみただけ」みたいな差別発言と同じくらいには有害でありうることを認識してほしいです。哲学者はちょっと哲学者を信頼しすぎでは、と思うことがよくあります。タイトルが中島みゆきさんっぽいって何人ものかたに言われました。

 

『グライス 理性の哲学』(勁草書房

グライス研究者だったつもりはないけど、グライスと対決を試みた結果としてグライスに詳しくなったと思ったので、グライスから離れる前にきちんと書き残そうと書いた本。ライバルだからこそよく知っているという、漫画とかだと少し熱い展開ですね。私のこれまでの研究の総決算という面もあるくらいに気合の入った本です。いろんなひとに読まれてほしいな。グライス研究をもししたいひとがいたら、この本はかなり豊富なツールや地図を提供できるのではと自負しています。

 

4月

フィルカルリーディングズ2021

『フィルカル』恒例の企画。こういう紹介で、最近は単に「面白かった」ではなく、何を紹介したらクィアな読者に安心してもらえるのか、何を紹介したら脅威を与えてしまうのかなどを意識するようになっています(うまくできているかはわかりませんが)。紹介したのは逢坂冬馬さんの『同志少女よ、敵を撃て』、ゆざきさかおみさんの『作りたい女と食べたい女』、Shon FayeさんのThe Transgender Issue

 

5月

応用哲学会「私たちを私たちにするもの」(久木田水生さんとの共同発表)

Margaret Gilbertの共同的コミットメントの話を私がして、久木田さんがそれの自然主義的理解の方向性を探る発表。私自身は現在そこまで自然主義へのシンパシーがあるわけではないのですが、何らかの仕方で人間以外の動物に見られる現象との連続性とかが見出せたら面白いだろうなとは思っています。

 

6月

関西言語学会シンポジウム「言語の意味研究の現在」内発表「意味とコミットメント」

ご招待いただき。コミットメント概念のあいだの種別の整理と使い分けについて論じてみました。言語の話でコミットメントという概念を用いる哲学者、言語学者はいろいろいるけど、実はその概念にズレがあるのは前から気になっていて(例えばギルバートとブランダムの違いとか)、それをこの機会に整理できて私にとってもありがたかったです。

 

7月

哲学若手研究者フォーラム テーマレクチャー「共同行為」内発表「共同行為のミニマリズム

共同行為論におけるミニマリズムの動きを整理して、ミニマリズムに関わりそうな事例として「譲歩的共同行為」という現象を紹介。

 

『文藝』2022年秋号「コミュニケーションを遮断する(綿矢りさ著『嫌いなら呼ぶなよ』書評) 」

依頼が来たとき、「え、綿矢さんの本に私などがコメントしてよいのですか!?」みたいに戸惑ってしまいました。文芸批評とかの訓練は何も受けていない人間なので、書評系の仕事は毎回「何をしたら?」と思うのですが、私が批評家でないのは承知のうえでの依頼だろうし、基本的には言語哲学の話ばかりするようにしています。

 

現代思想』8月号、特集「哲学のつくり方」内の記事「もしも哲学がコミュニケーションであるのなら」

これも、哲学者は自分たちを信頼しすぎでは、という気持ちとともに書きました。「哲学は普遍的とか言いがちだけど、ぜんぜんでは?」というような話を、哲学の営みをコミュニケーションの一種として捉えるという観点から語っています。読んでみた印象だと、この特集で哲学分野へのフラストレーションとか哲学者への不信感とかを語っているひとはそんなに多くなくて、ちょっと寂しかったです。

 

『言葉の展望台』(講談社

『群像』での連載を一年分まとめて出してもらったもの。もとの予定では二年分溜まったらという話だったと思うので、びっくりしつつ用意しました。ありがたいことに、いろんなかたに読んでいただき、クィアな語りを見出してくれるひと、ゲーム、漫画の話を喜んでくれるひと、フェミニズム的要素に注目してくれるひと、いろんな読者さんに感想をいただいて、本当に嬉しかったです。そういういろいろな要素がごちゃごちゃにあるから、何の本とも言いにくい本かもしれませんが、それって要するに、私という人間がトランスで、女性で、研究者で、漫画やゲームが好きで、という話で、つまりは私が普段見聞きしていることをそのまま書いているのですよね。

 

8月

『会話を哲学する』(光文社新書

えらいことになってしまった…、と思いました。よくわからないうちにTwitterで読んでくださったかたのツイートがバズっているし、同人誌とかを描くひとや演劇関連のひとが「参考になるのでは」と言ってくださったりしているし、あれよあれよと増刷されていくし、嵐のようでした。私のほかの著作との関連で言うと『話し手の意味の心理性と公共性』でやっている「話し手の意味」の分析に当たる箇所を本書では「コミュニケーション」と呼んでいて、「約束事」と語っているのも厳密には共同的コミットメントの話です。なのでテクニカルな議論が知りたい方は『話し手の意味』も見てみていただけたら。グライス批判はしたものの、グライスの立場は話し手の意味の分析としては不十分でも、それはそれで何かの現象を捉えてはいるのではと以前から思っていて、今回、それを「マニピュレーション」と呼び、組み込みました。オースティンの言語行為論との関連性をよく聞かれるのですが、ベースがグライスなので流れが違っていて、私もまだうまく関連づけられていません。そのうちちゃんと考えたいです。

 

9月

三木那由他×八重樫徹 「理性と巨大な形而上学――グライスvs.フッサール」 『グライス 理性の哲学』(勁草書房)刊行記念

八重樫さんとの対談。グライスとフッサールが並べられるイベントって、果たしてこれまでにったのでしょうか。

 

『言葉の展望台』(講談社)刊行記念 三木那由他×和泉悠トークイベント 「<モヤモヤ>から始まる話」

和泉さんとの対談。この辺りから無理に自分が話を動かそうとせず、相手やその場の雰囲気に身を任せるという受け身な方針を取り始めた気がします。

 

中部哲学会2022年度大会シンポジウム「言葉と尊厳」内発表「コミュニケーションにおける不正義」

これも哲学への不信感を語る発表でした。今年はそんな話をあちこちでしてますね。シンポジウム自体も楽しかったですが、田中さをりさんのおかげで手話通訳や字幕などについていろいろ経験できたのがありがたかったです。

 

『群像』10月号「「弱さ」のこと……永井玲衣×三木那由他(対談) 」

永井さんとの対談。おこなわれたのは8月でした。弱さというので連想することなどを通じていろいろ話しました。このころ、子供のころからの睡眠障害がちょっとずつ悪化しつつあって、その話もぽろっと出てしまった。対談中に「『かたじけない』と切腹するような気持ち」みたいなことを言ったけど、「この文脈で『かたじけない』はおかしいでしょ」とあとから気づいて、恥ずかしがりながら訂正したりしました。冗談っぽく言ったつもりのことにこういう間違いがあるときって、なんでこんなに恥ずかしいのでしょうね。

 

Journal of Social Ontology 8(1) 24-40, "Concessive Joint Action: A New Concept in Theories of Joint Action"

「譲歩的共同行為」という現象があるのではないかと指摘した論文。投稿から2年くらいかかってようやく出た、私にとって初の英語査読論文です。共同行為が、「あらかじめ参加者によって方向が定められている」という意味での合理性なり整合性なりを欠きうるのではという問題意識からの議論で、ここを手がかりに、そんなに理性的でない人間というあり方をコミュニケーション論に繋げていきたいのですよね。

Concessive Joint Action | Journal of Social Ontology

 

東北大学で集中講義

人見知りだし体力はないしで不安を抱きながら行ったのですが、学生さんたちもみなさん面白い話をたくさんしてくれて、とても楽しかったです。グライスの話と私のコミュニケーション論の話をしました。また参加されていたかたたちと会えるといいな。

 

10月

『CVPPPのための哲学フォーラム コミュニケーションってなんだろう?:言語哲学における言語行為、意味と公共性』内「コミュニケーションの公共性と共同的コミットメント 」

グライスの話や私自身のコミュニケーション論など。飯野勝己さんと初めて話しました。学部生のころに読んで勉強していたかたなので、緊張しました。

 

三木那由他×逢坂冬馬 「会話とは何か?フィクションにおける会話のやり取りを通じて考える」 『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』 (光文社新書)刊行記念 

逢坂さんとの対談。編集さんから提案されたとき、「そんな企画をしてもらっていいのですか!?」みたいな反応をしました。打ち合わせで逢坂さんのあげるフィクション作品の例がどれもこれも私のツボでびっくりしました。

 

群像11月号「「トランスジェンダー問題」を語り直す」

連載をお休みして『トランスジェンダー問題』の紹介を。もちろん完璧な本でも十分な本でも間違いの含まれない本でもないけど、でも「これは私たちの本だ。ここに私たちのリアルが書かれているんだ」と言える数少ない本。著者のフェイさん、訳者のゆと里さん、解説を書いた清水さんにはこの本をこのかたちで出してくれて本当に感謝してます。

 

11月

Logic and Engineering of Natural Language Semantics 19 (LENLS19), "Gricean Pragmatics According to Himself "

シンポジウムに招かれ。まさかの大トリで緊張で泣きそうでした。ただでさえスピーキングは得意でない中英語で一時間話すのは本当に大変でしたが、グライスの推意の理論と心理論をつなげて、心理論から「グライスにとっての語用論」を再構成するというのは、自分では楽しかったです。

 

『世界』2022年11月号「トランスジェンダー問題とは何か: 当事者不在の「議論」に抗して 」

高井ゆと里さん、清水晶子さんとの対談。私は当事者なだけで専門家としての知識はないので、お二人の話がひたすら勉強になりました。私は自分の経験を主に話しています。

 

『反トランス差別ZINE われらはすでに共にある』「くだらない話がしたい」

これは参加できて本当によかったです。みなさんすごく素敵な文章で、じっくり全部読みました。私は、Twitterなどの場がいかにトランスにとって他愛ないおしゃべりのできない場に感じられるか、という話をしました。

 

12月

三木那由他×谷川嘉浩『鶴見俊輔の言葉と倫理』『会話を哲学する』 刊行記念トークイベント ~モヤモヤする夜のための哲学~ 

谷川さんとの対談はこれで二回目。二回目になるとなんとなく人見知りも軽減されますね。鶴見って読んだことなかったのですが、面白いひとだなと感じます。

 

『布団の中から蜂起せよ』刊行記念 高島鈴×三木那由他

以前から、すごい文章を書くすごいひとがいるぞ、と思っていた高島さんとの対談。どうにかその秘密を知りたかったのですが、いろいろお聞きした結果、私には真似できなそうでした。残念。

 

『土木学会誌』107巻12号「アライになるためのガイド 」

当初は「アライという道、あるいは道としてのアライ」というようなタイトルをつけていたのですが、紙面の関係でこうなりました。以前にAmélie LamontさんのThe Guide to Allyshipというテキストを許可を得て翻訳して公開していたのですが、その動機や、私の思いなどを語っています。

 

その他

『群像』の連載は『トランスジェンダー問題』の紹介記事を書いたとき以外はずっと書き続けています。Fallout 4の話とかをしましたね。そのあとでまたSkyrimをプレイしているので、またSkyrimの話をする可能性が…。

 

11月に大阪大学賞をいただき、12月に紀伊國屋じんぶん大賞の2位に選ばれました。これまで賞というのには無縁だったので、私の書いたものを読んで、面白いと思ってくれるひとがいるんだなと実感できて、本当に嬉しかったです。