あれこれ日記

趣味の話や哲学のこと

古波津陽監督『ハイヒール革命』

http://highheels.espace-sarou.com/info/?page_id=8

鑑賞会で。2016年の映画。哲学論文だと2016年は「最近」の感覚ですが、映画だと8年前はかなり前に感じますね。

トランスジェンダーの真境名ナツキさんの半生を取材したドキュメンタリーと、そのエピソードの再現映像が組み合わされた映画です。

映画内で「トランスジェンダー」や「トランス」といった言葉がほとんど出てこなくて、基本的に「ニューハーフ」や「おかま」といった言葉なのも、なんだか懐かしい雰囲気。と言っても、真境名さんは私とほとんど変わらない世代だし、2016年というと私もすでにトランジションして女性としての生活が安定してきたころだったと思うのですが、そのころに見ても「ひと昔まえの感覚なのかな」と感じていた気もします。

まあ、トランスの場合は生まれた年代というより、いつたまごが割れた(=自分がトランスだと気づいた)かとか、いつ移行したかのほうが「世代」を分けるものだとも私は感じるので、あまり年齢的に同世代なのは関係ない気もします。

当時はそんなものだったのだろうけど、いま見るとやたらと真境名さんに性器のことや胸のことを訊く質問があるのがけっこうきつい。「その質問、シスジェンダー相手でもしますか?」と思うし、現代的な感覚からすると「そんな質問に答える必要はない」、「そんな質問をそもそもすべきではない」と感じますよね。

Netflixの『トランスジェンダーとハリウッド』が2020年で、ちょうど中間地点に位置するわけですが、トランスジェンダーを「興味を惹く珍しい種類のひと」見るか「シスジェンダーとは異なる存在だけれど等しく人権を持つひと」と見るかはかなり大きな転換で、後者に慣れていたからちょっとびっくりしました。

他方で、2016年というと日本の反トランスバックラッシュが激化する前(2018年のお茶の水女子大の報道あたりで苛烈な反トランス的なモラルパニックが起き、いまも悪化しつつ続いている)なのもあってか、「平和だな」という印象も強かったです。高校時代の思い出に「同級生の女の子に説得されて女子バレー部に所属していた」などの話があって、「以前はこんな感じだったな」と思いました。いや、たぶん若いひとたちの話を聞く限り、実際にはいまの中学校や高校では私のころよりずっとトランスインクルーシブになっているところが増えていて、単に私がそうした世界を知らないままバックラッシュ言説ばかりを目にしているから、そんなふうに感じているだけなのだと思いますが。

母親のサポートを得て社会的移行を果たした中高時代の話やその後のパートナーとの出会いの話などもありつつ、最後は特にすごく不幸なわけでもすごく幸せなわけでもないというか、パートナーと口論したりしながらなんとも言えない終わり方をしていて、「まあ、トランスの日常って『前向きになれました。めでたしめでたし』ではなく、調子のいいときも悪いときもあり、平穏なときもそうでないときもあり、そして基本的には世間に期待されるほどにはドラマティックでもなく、淡々と過ぎていくよね」と思わされて、独特でした。でも、そのほうがリアルですよね。別にトランスだからってすごく前向きなわけでもすごく後ろ向きなわけでもないし、いつでも活発なわけでもないし、まあ、そんなものだよ、と。

朝決まった時間に起きれないことを責めるパートナーさんの言葉は、寝ることも起きることも思い通りにいかない睡眠障害歴25年(これまでの人生の2/3くらい!)の人間としては、ちょっと辛かったです。