今回は、阪大にある「卒煙支援スペース」について書いています。「卒煙支援スペース」と名付けられた、見たところ喫煙所と変わりない場所。いったいこの名付けで何が起こっているのだろう? そのことから、言葉の持つ力に関して何を読み取っていけるだろう? みたいな話をしてます。
ところで、書いたあとになって「卒煙支援スペース」のすぐそばに「喫煙所」という看板も一緒に置かれていることに気づきました。看板はかなり新そうだったから、最近できたのかな。
喫煙/卒園といえば、実は私も院生時代や学振PDのころに少し喫煙していたことがあります。
学部生のころに、映画『コーヒー&シガレッツ』を見て、「タバコを吸いながらコーヒーを飲むお姉さん素敵だな!」と思ったことがあったんですよね。あの、コーヒーのおかわりを入れたがる店員さんと攻防を繰り広げていたお姉さんです。当時はトランジション前だったし、まだ自分にトランジションが必要という確信が強くもなかったころなのですが、やっぱりモデルにするのは女のひとだったんですよね。いま思い返すと、確信できなかったのが不思議です。
そんなわけで、そのお姉さんに憧れて修士課程のころにちょっと煙草を吸ってみていたことがあるのですが、「映画でかっこよかったから」だけではモチベーションが維持できず、気づいたら飽きてやめていました。そもそも私、コーヒーではなく紅茶党だったのですよね。残念ながら何もかもが『コーヒー&シガレッツ』タイプではありませんでした。
学振PDのころには、「煙管を持ち歩いたら粋でかっこいいのでは?」と思って、煙管と煙管用の煙草、マッチを持ち歩いて使っていました。ただこのときも、ほぼファッションアイテム気分で持っていただけで、忘れ物がかなり多いのもあってしばしば家に忘れてきたりもしていたくらいだったので、ホルモン治療を始めたころにぱっとやめました。
いまはもうぜんぜんです。むかしから気管支が弱く、咳喘息がしばしば発症したりする体質なのですが、それから現在にかけて気管支がさらに敏感になって、現在は煙草の煙が漂ってくるだけで咳が止まらなくなるようになってしまい、お店に入るにも禁煙のところばかり選んでいます。もともとファッション的に吸ってみていただけで特に「頭がすっきりする」などの心身への影響も感じたことがなく、吸おうと意識的に心掛けないと吸い忘れるくらいの感覚だったので、たぶん今後は縁ができることもないでしょう。でも、探したらいまもどこかに古くなった煙管とか、プレゼントしてもらったジッポとかはあるのではないかな。