41話「輝く日々を想う」、42話「輝く日々が曇る」、43話「輝く日々を走る」、44話「輝く日々を叫ぶ」、45話「その舞台を夢見る」があまりに素晴らしくて、語りたくなりました!
[第1話~第4話]ふつうの軽音部 - クワハリ/出内テツオ | 少年ジャンプ+
『中央公論』でも紹介した大好きな漫画『ふつうの軽音部』。ここ数回は、主人公はとっちの憧れの先輩であるたまきさんの過去編でした。それがもう、本当にいいんです。特に、クィアなひとたちに届いてほしい。
たまき先輩は新入生への部活紹介で銀杏BOYZを熱唱し、はとっちを軽音部へと導いた非常に重要なキャラクターです。またのちのエピソードでは、はとっちによるスピッツの弾き語りでたまき先輩が初恋のひとを想起するというシーンもあったりします。
たまき先輩の初恋の相手は同性の家庭教師。たまき先輩はそのひとへの憧れでギターを始め、音楽を好むようになりました。そのあたりの描き方もバランスがよくて、「これは恋愛感情ではない憧れ」みたいにはせず、はっきりと恋愛として描くけど、同性への恋愛というところを過剰にフォーカスせず、「軽音部のたまき先輩」がロック好きになったきっかけとして語られるんですよね。セクシュアリティを変にぼやかさず、でもセクシュアリティだけの存在にはせず、「性的マイノリティでもある軽音部の先輩」として丁寧に描いていました。
さて、最近のたまき先輩の過去回なのですが、それがひとりのクィアガールの等身大の青春として傑出したエピソードになってるんです。たまき先輩には夏帆という仲のいい女友達がいて、一緒にバンドを組むのですが、その夏帆が同じバンド内の男の子に片想いをし、しかしその相手の男の子はたまき先輩に想いを寄せるという問題が起き、関係がこじれてバンドが解散になってしまいます。
そのなかで、もっとも緊張が走る瞬間に、夏帆がたまき先輩のセクシュアリティをアウティングしそうになり、ぎりぎりで青ざめながら思いとどまるシーンがあるんですよね。これがまず、すごかった。
たまき先輩が、アウティングによって身が危うくなるような薄氷の上の日常を生きているということを示すとともに、どれだけいざこざがあってもその一線を超えなかったことにより、夏帆にとってもたまき先輩が決してどうでもいい相手だったり単なる恋のライバルだったりではなく、あくまで大事な友人であることも感じ取れて、だからこそどうしようもなく切ない。この切なさは、恋と友情をめぐるふつうの青春の1エピソードであるとともに、でもアウティングをめぐる緊張によってこれが紛れもなくクィアな若者の青春であることも痛いくらい伝わる。クィアであることを押し隠して「ふつう」を描くのでも、クィアであるがゆえに「特別」に描くのでもなく、「クィアのふつう」がここにある、と感じました。
そしてそれに続き、初恋のひととの再会から、そのひとの結婚報告を聞いて世界が曇っていき、しかしその初恋の相手から教えてもらったサンボマスターの曲を聞いて顔を上げ、しっかりバンドをやる、軽音部で文化祭の舞台に立つという目標へとたまき先輩は歩き出す。そしていま、はとっちの目の前で、目を輝かせ、汗だくになって歌っている。
漫画などでクィアなセクシュアリティが描かれるとき、それを「当たり障りない」ものと見せかけ、「それっぽく見えるけど違うんですよ」という言い訳をするというのは、けっこうよくあるんですよね。『ふつうの軽音部』はそれをしていません。クィアな子供たちのクィア性を隠さない。でも、その子がふつうの軽音部でふつうに辛いことも楽しいことも経験し、ふつうの輝く青春を送る姿を丁寧に描き、「レズビアンの子」で要約できない当たり前の等身大の個人を見せてくれる。その繊細さがすごい。
そしてこうやって描かれると、普段は「中高時代には戻りたくない」、「ずっと辛くて悲しかった」、「死にたいとずっと思ってた」みたいなことをすぐ言う私も、「私には私のふつうの青春があったよ。トランスキッズのふつうの青春があった」と思わされます。とにかくもう、読んでほしい。
またこの漫画には、アセクシュアルキャラも登場していて、そちらもそのセクシュアリティは曖昧化されず、そのひとの重要な一面とされながら、しかし同時にアセクシュアルである子のふつうの軽音部でのふつうの青春が語られています。
ものすごくきらきらしてる舞台が、単なる文化祭のステージなのもいいですよね。私は大学で劇団に入ってたのですが、あのなんてことのない学生劇団のなかで誰かと仲良くなったり仲違いして、まるでそこが世界の真ん中みたいで、埃っぽい取るに足らない小さな舞台が照明を浴びてきらきら輝いていた日々があったな、といろいろ思い出してしまいます。